◇自らの手で民間交流を促進
ラーメン店の経営を何年か続け、彼女には多くの友達ができた。その特別な立場で、彼女は両國の友好のためにもっと大きなことをしたいと考えるようになった。
2005年、當時の小泉首相が靖國神社に參拝し、両國の政府間交流は氷點に陥った。彼女は「政治に文化交流の邪魔をさせてはいけない」と、両國の文化交流のための非営利団體設立を決意する。
家族の支えもあり、2006年、彼女の「日中文化?経済交流機構」が非営利活動法人として正式に認可を受けた。彼女の4階建ての建物の1階部分がその本部となった。
そこには中日文化交流に熱意を持つ人々が10數名在籍している。「彼らはみんなボランティアで給料は無いの。」機構の主な活動は中日両國で書畫、撮影、その他の文化交流展を開催したり、それぞれの文化人を相手國に招待し、お互いの違いを學んだり信頼を深めたりするものである。
2006年、「日中文化?経済交流機構」設立後の一大イベント「素顔の日本」美術展が東京等で開催され、中國文化界の高占祥、劉大為、馬未都、賀延光等も招待を受けて日本を訪問し、作品を出展した。
現在、彼女の展覧は中日民間交流の一大名物となっている。
「中日友好なんて言うと大げさに聞こえるけど、実際には小さなことの積み重ねだわ。異國に身を置いて初めて友好がどれほど重要なことか良く分かる。私も周りのみんなもそんな気持ちを抑えきれずにこの事業に身を捧げているのよ。」
彼女はまた、その息子に來年から中國の大學で中國語を學ばせ、將來的には彼女と同じように中日友好事業に盡力させるのだという。「昔からよく言うでしょ、後継ぎを育てることが大事だって。」
?中國網日本語版(チャイナネット)? 2011年10月1日