近隣國(guó)同士である中日両國(guó)のスポーツ界ではこれまで、さまざまなロマンスが生まれてきた。そんな中、両國(guó)のスポーツ界ではあまり目立たない存在の男子バレーも例外ではない。中國(guó)男子バレー選手を追いかけて世界各地を巡る日本人女性ファンまでいるというから驚きだ。インターネット上で検索してみると、日本人女性ファンの中國(guó)男子バレー選手追っかけに関する報(bào)道は1980年代から始まっている。
1980年代の中國(guó)バレー黃金時(shí)代を築いた、元選手?郎平が中國(guó)女子バレーの実力代表者であるなら、男子バレーの代表は汪嘉偉と言えるだろう。70年代末から80年代の初期にかけて世界の頂點(diǎn)を極めていた舊ソ連の男子バレーチームが最も恐れていたのが、「コートのジャンパー」と呼ばれた汪嘉?だった。當(dāng)時(shí)、汪嘉偉が試合のため日本を訪(fǎng)れた際、日本の女性ファンがスター選手の汪嘉偉の姿を一目見(jiàn)ようと、汪嘉偉の泊っているホテルの向かい側(cè)の3階建てのビルを貸し切ったという。
その後90年代には中國(guó)男子バレーチームのキャプテン周建安が登場(chǎng)し、帰國(guó)後四川の男子バレーチームや中國(guó)代表の男子バレーチームの監(jiān)督を務(wù)めている間、彼を追って、四川省成都市や北京を駆け回る熱狂的な日本人ファン永末敦子さんがいた。初めは一人で追っかけをしていた永末さんは、次第に夫を連れて周建安や彼が率いるバレーの試合を見(jiàn)に行くようになった。周建安がコーチとして試合のため日本を訪(fǎng)れた際も、既婚者の永末さんの周建安に対する一筋の思いは変わらず、日本対中國(guó)の試合の際、中國(guó)を応援していた。
現(xiàn)役の瀋瓊選手も日本に多くの熱狂的なファンがいる。瀋選手を追いかけて中國(guó)まで來(lái)る日本の女性ファンもおり、この點(diǎn)一世を風(fēng)靡した周建安と共通している。アタッカーを務(wù)める瀋選手はコート上では自信に満ち、アタックを決めた後には雄たけびを発する男らしい姿を見(jiàn)せる一方、試合が終わると、優(yōu)しく子供のような笑顔になり、女性にとってはたまらないようだ。日本のファンの中には、瀋瓊選手の試合を見(jiàn)に行くだけでなく、クリスマスなどのイベント時(shí)に「親しみやすくかわいく、みやびやかで禮儀正しい」というメッセージと共にプレゼントを贈(zèng)るファンもいる。
「人民網(wǎng)日本語(yǔ)版」2011年11月22日