津波によって屋上に乗り上げたバスが、現(xiàn)在もそのまま殘っている。
地震と津波の傷跡がますます悲慘なものとなっていく一方、往來する人はますます少なくなった。雄勝町の三階建て公民館の屋上に一臺(tái)の観光バスが乗り上げられていた。津波の時(shí)から今まで、この場(chǎng)所に放置されたままなのだ。地元の漁師である伊藤浩光さんによると、當(dāng)時(shí)このバスは駐車場(chǎng)にあり、幸いにも無(wú)人だったそうだ。住宅の多くが震災(zāi)で破壊されたため、遠(yuǎn)くの丘にある墓地が間近に見える。車で石巻市の街を走っている時(shí)にも、道端に多くの墓石を見かけた。近くに寄ってみると、新しい墓石なのが分かった。その多くが震災(zāi)で亡くなった石巻市民の墓なのだろう。津波にのみ込まれ破壊された學(xué)校や病院の建築が、なすすべなく佇んでいる。
女川町の海岸では、まるでネギを引っこ抜いたように、多くの住宅が根元から破壊されている。殘っているのは鉄骨の柱だけだ。地震による津波の威力と災(zāi)害の悲慘さにぞっとする思いだった。 (続く)
「中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)」2011年12月26日