東日本大震災(zāi)発生から四十九日に當(dāng)たる昨年4月28日、宮城県女川町で行われた合同慰霊祭。 |
▽各種ボランティア活動(dòng)に參加する在日中國人
3月3日、神奈川県川崎市の國際交流センターで、多文化シンポジウム「外國人の立場から考える地震災(zāi)害」が開催され、ボランティア活動(dòng)を続けてきた在日中國人?招杏明(ジャオ?シンミン)さんもパネラーとして登場する。
川崎市で広東料理店を営んでいる招さんは、來日20年以上といい、第二の故郷ともいえる日本の震災(zāi)に心を痛めている。招さんは夫や友人と一緒に、何度も福島県を訪れ、被災(zāi)地で炊き出し行った。例えば、地震発生後間もない昨年4月、福島のボランティア関係者に頼まれ、自身の店を閉めて、福島県いわき市へ向かい、被災(zāi)者50人に、晝は牛肉煮込みやはるさめ料理を、夜はザーサイと肉の炒め料理を提供した。事故を起こした福島第一原発に近いいわき市は當(dāng)時(shí)、立ち入り禁止區(qū)域になるのではないかと懸念されたため、救援物質(zhì)の搬送をためらう人も多かった。そんな狀況を知った招さんらは、溫かいご飯を?qū)盲堡郡い认M筏郡趣いぁⅰ脯F(xiàn)地では當(dāng)時(shí)、物資も比較的充実し、ガソリンスタンドにガソリンもあり、被災(zāi)者らは『特に不足している物はない』と言っていた。でも、食べる物といえば、パンやおにぎり、缶詰などばかりだったため、『今後は料理したものを、真空パックにして冷凍したものを送ることを伝えた」と話す。
招さんら以外にも、多くの在日中國人がボランティア活動(dòng)に參加してきた。堆積した泥の洗浄作業(yè)に1週間參加したという朱惠●さん(●は雨の下に文)もその一人で、「作業(yè)をした當(dāng)時(shí)、どこを見渡してもボランティア志願(yuàn)者があふれていた。ボランティアチームの人もいれば、大學(xué)生やキリスト教會(huì)の人もいた。それらの人は組織や団體の垣根を越えて人手が必要な場所へ行き、臨機(jī)応変に協(xié)力していた。その息のあった姿はこれまでずっと一緒にやってきたかのようだった」と話す。
地震や津波、原発事故による放射性物質(zhì)の恐怖を経験したにもかかわらず、多くの中國人が依然として日本で生活し続けていることを見ると、日本で身を固めたいと願(yuàn)っている中國人も多いということだろう。険しい日本の復(fù)興の道に、中國人も共に臨む覚悟なのだ。
「人民網(wǎng)日本語版」2012年2月24日