文=奧井禮喜
報道は、いったい人々の理性に働きかけるものであるか。情緒的なものが相変わらず多い。言葉は情緒的な修飾語(あるいは修飾的誇張)から腐るという鉄則を報道関係者は膽に銘じなければならない。
こんなことがオツムを支配するときは解毒剤が欲しくなる。開高健(1930?1989)「人とこの世界」(中公文庫)を引っ張り出す。
——テレビは淫祠邪教のたぐいの騒音を発し、新聞は雑巾に似ており、政黨は分裂迷走とどまることを知らず、文學作品はチュウインガムを噛むようである。田園はまさに荒れている。——
まあ、こんな罵倒をして一人慰むの世界に過ぎないのではあるが、ついついニタリとして、そうだ、昔からこんなもんだ、変えなければ変わらない。変えるために盡力しているのだと自分を説得するわけであって。
作家が筆鋒鋭く論じたのは1970年である。そろそろ経済大國になる直前、情緒的表現として、「人々が未來に夢や希望をもっていた」といわれる時代に、さすが慧眼?熟慮の観察は、日本の精神的混沌を見抜いておられた。
その數年前、高橋和巳(1931?1971)が「悲の器」(1962)を発表した。小説ではあるがこれまた鋭く日本的精神文明批判を隨所に展開する。いわく「ジャーナリズムの興味は理念ではない。」「ジャーナリズムは現代のメフィストフェーレスである。」さらに「(歐米ならば)かつて教會が司った精神の審判を、いまはマスコミの媒介が司っている」などなど。
作家は珍しくも小説のあとがきに痛切なメッセージを書いた。いや、私は大げさにいえば、この一行を書かんとして小説を書いたのではないかと思ったくらいである。いわく「私たちはなお廃墟に面して立っている。」
たとえば、敗戦を境にして、わが國はかたじけなくも民主主義國家に衣替えした。自由を獲得したのである。ただし、民主主義制度は抵抗なく受け入れたものの、民主主義のなんたるかを、よく噛み下し、十分に消化してきたのかどうか。戦後生まれが80%を占めていても安心できない問題である。
さらに民主主義の基本的人権の核心たる《自由》の意義がわかっているかどうかと踏み込めば、ますます怪しいものに見えてくる。
明治維新で近代化の扉を開けたのは事実であるが、いわばモノの近代化に比較してココロの近代化は圧倒的に遅れた。維新政府は自由主義?社會主義を徹底して排除した。とりわけ自由主義を嫌ったのである。