作家?高見順(1907~1965)が、川端康成(1899~1972)に、
「どうも書けなくて困っています。」と言ったら、
川端は「----健康なんですね。」と答えたという。
作家は、もちろん何かを表現(xiàn)したい。表現(xiàn)することが何であれ、それ相応に思いつめたものであろう。思いつめることが病的だといえば語弊があるけれど、プロたる作家としては、とても深刻なのだと思う。
思うように書かれないのは、書かねばならないという深刻が高まり、かつ醸成していないのであって、のほほんとしていられるのだから、見様によっては確かに健康に違いない。(と、まあ我流に解釈した。)
作家は小説家である。小説だから大説ではないかもしれない。しかし自己責(zé)任において自己表現(xiàn)するのだから、際立って自尊心に基づく行為である。さすが名を殘す人は違うなあ、と感心したものである。
詩人ステファン?ゲオルグ(1868~1933 獨(dú))が、マックス?ウェーバー教授(1864~1920 獨(dú))に尋ねた。
「すべての人間が自分自身の審判者でありうるとお思いですか?」
「すべてがそうでありうるとは思いませんが、そうなるように彼らを成熟させることが究極の目標(biāo)だと思いますよ。」
「では、あなたはご自分の審判者でありたいと思いますか?」
「ええ、私はそう思っています。」
この會(huì)話はおそらく第一次世界大戦後、敗戦國ドイツが慘憺たる狀態(tài)にあったころではないかと思う。とりわけ青年たちが社會(huì)の不満を語り、うっぷん晴らしを求めていた。
教授は、そのような気風(fēng)を熟知しつつも、否、だからこそ、誰かの煽動(dòng)にうかうかと便乗するのではなく、わが內(nèi)なる自立をめざせと言いたかったのではないか。
なるほど、われわれが直面する時(shí)代は奇形である。美しくない。面白くない。腹立たしくさえある。しかし、これは自分の時(shí)代である。嘆かず、自棄を起こさず、現(xiàn)実を直視して、自分の(人生の)仕事をなす。
現(xiàn)実を直視しつつ考える。新しい年へ。
奧井禮喜氏のプロフィール
有限會(huì)社ライフビジョン代表取締役
経営労働評(píng)論家
日本労働ペンクラブ會(huì)員
OnLineJournalライフビジョン発行人
週刊RO通信発行人
ライフビジョン學(xué)會(huì)顧問 ユニオンアカデミー事務(wù)局
1976年 三菱電機(jī)労組中執(zhí)時(shí)代に日本初の人生設(shè)計(jì)セミナー開催。
1982年 獨(dú)立し、人と組織の元?dú)荬蜷_発するライフビジョン理論で、個(gè)人の老後問題から余暇、自由時(shí)間、政治、社會(huì)を論ずる。
1985年 月刊ライフビジョン(現(xiàn)在のOnLineJournalライフビジョン)創(chuàng)刊。
1993年 『連帯する自我』をキーワードにライフビジョン學(xué)會(huì)を組織。
2002年 大衆(zhòng)運(yùn)動(dòng)の理論的拠點(diǎn)としてのユニオンアカデミー旗上げ。
講演、執(zhí)筆、コンサルテーション、インターネットを使った「メール通信教育」などでオピニオンを展開し、現(xiàn)在に至る。
高齢?障害者雇用支援機(jī)構(gòu)の「エルダー」にコラム連載中。
?中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)? 2013年1月4日