中國の日本語翻訳界の第一人者、日本語翻訳界の頂點と稱される林國本氏が治療の甲斐なく、3月11日に亡くなった。享年79歳。陳栄祥氏は林氏と50年近く同僚を続け、定年退職後は同じ建物で生活し、翻訳に関する意見や考えを交換し、気のおけない関係だった。陳氏は林氏の逝去を惜しんだ。
陳氏によると、日本在住の華僑の青年だった林氏は新中國誕生後、祖國への愛と新中國への憧れを抱き、1953年に両親のもとを離れて祖國に帰り、祖國の社會主義の建設に參加した。
1958年に北京週報が創刊されると、林氏は北京週報日本語部に就職し、日本語翻訳に従事した。林氏は対外宣伝事業に熱心で、研究に取り組み、翻訳レベルを高め、北京週報日本語部の三本柱のひとりに成長した。この3人は、國務院特殊補助金の支給対象である、中國國籍の日本語専門家だった。文化大革命後、中國に帰國した多くの華僑は再び元の國に戻っていったが、林氏は揺るぎなき覚悟で祖國に殘ることを決め、北京週報で仕事を続け、中國の対外宣伝事業に貢獻してきた。
北京週報の業務以外に、林氏はマルクス?レーニン主義編譯局などの國家機関の関連部門や出版部門のために、多くの日本語書籍の翻訳を行った。またさまざまな國家クラスの會議、政府が催す外交活動で、通訳?同時通訳を行った。林氏は責任感のある、慎重で勤勉な勤務態度だった。特に林氏は長年に渡り、黨の代表大會と全國両會(全國人民代表大會、全國政治協商會議)の文書の日本語訳に従事し、翻訳界で卓越した成績を記録し、多大な貢獻を成し遂げた。
林氏は退職後も、北京週報日本語版と中國網日本語版の改稿を続けた。また中國網日本語版で専門家ブログを開設し、高品質の文章を掲載してきた。林氏は翻訳界を離れたことがなかった。林氏は昨年も、病で弱り切った體に鞭を打ち、全國両會と中國共産黨第18期中央委員會第4回全體會議の文書の日本語版の原稿作成に取り組んでいた。
林氏は1987年に國家科學技術委員會から、多大な貢獻を成し遂げた青年?中年國家級専門家に選ばれた。2004年には全國翻訳専門資格(水平)試験日本語専門家委員會主任に就任し、2005年には中國翻訳協會からベテラン翻訳家に認定され、2008年には委員會委員に就任した。2010年には全國翻訳専門資格(水平)試験専門家委員會顧問に就任し、2014年にはベテラン報道従事者に認定された。
陳氏は、「彼は國の対外宣伝事業に生涯を捧げ、多大な貢獻を成し遂げた。林氏は対外宣伝の前線に立つ先兵?模範であり、永遠に尊敬し學習すべき模範的存在だ」と感慨深く語った。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2015年3月13日