「中日友好は民間に根を下ろし、中日関係の前途は両國(guó)人民が握っている」。習(xí)近平國(guó)家主席は23日夜、中日友好交流大會(huì)で重要講話を発表し、中日関係の改善と発展のための根本的な重點(diǎn)を明示し、中國(guó)政府が中日友好に盡力しているというシグナルを両國(guó)各界と國(guó)際社會(huì)にはっきり伝え、両國(guó)関係の発展に対する中國(guó)側(cè)の責(zé)任ある態(tài)度をアピールした。(文:呉祖栄?中國(guó)國(guó)際問(wèn)題研究基金會(huì)研究員)
昨年11月から、中日間の政府と民間の交流はある程度回復(fù)し、増加の勢(shì)いを保っている。中國(guó)を訪問(wèn)中の政治?経済?観光?文化など各界の総勢(shì)3000人に及ぶ日本の「民間大使」も熱烈な歓迎を受け、中日友好事業(yè)を大切にしたいという両國(guó)とりわけ両國(guó)民間の共同の願(yuàn)いを反映している。だが中日両國(guó)の幅広い社會(huì)的了解を形成し、中日関係の持続的で健全な発展を確かなものとするには、任務(wù)は重く道のりは遠(yuǎn)いことを覚悟しなければならない。
中國(guó)が歴史的な平和発展を遂げている事実を客観的に認(rèn)識(shí)し、偏見(jiàn)なく受け入れることは、中日関係の健全な発展の最も根本的な土臺(tái)の一つとなる。歴史の長(zhǎng)いプロセスと経済の大きな周期から考えれば、中國(guó)のGDPがここ數(shù)年、日本を上回っていることは驚くべきことではない。中國(guó)は悠久の歴史を持つ偉大な文明國(guó)であり、その経済総量は一貫して世界のトップレベルにあった。世界に後れを取り始めたのは、19世紀(jì)初期とりわけアヘン戦爭(zhēng)以降である。中國(guó)共産黨が1921年に結(jié)黨されて以來(lái)、中華民族の偉大な復(fù)興という歴史プロセスが始まった。中國(guó)の「二つの百年」(結(jié)黨100年の2021年に小康社會(huì)実現(xiàn)、建國(guó)100年の2049年に社會(huì)主義現(xiàn)代國(guó)家実現(xiàn))という発展目標(biāo)を?qū)g現(xiàn)するのは歴史的な必然である。日本は明治維新以降、急速な経済発展を遂げ、戦後にも好景気の時(shí)代を迎えた。ここ20年は「失われた」と言われる経済不振に陥り、なかなか進(jìn)展を?qū)g現(xiàn)できずにいるが、その原因は日本國(guó)內(nèi)にある。日本は科學(xué)技術(shù)の開(kāi)発や社會(huì)のガバナンス、グローバル企業(yè)の形成などで依然として一定の優(yōu)勢(shì)を誇っている。だがGDPで中國(guó)を下回っている事実を受け入れず、第二次大戦の抗日戦爭(zhēng)で中國(guó)に敗れたことまで否定するのなら、中日関係の改善を損ない、日本経済の復(fù)活を阻害することになる。