南京にどれほどの日本人が住んでいるか。そんなことに関心を持つ人はめったにいないだろう。この街に住む日本人の一人、兎澤和広から話を始めよう。「中國青年報」が伝えた。
南京市政府外事弁公室のデータによると、南京に定住している日本人は500人前後。どの方向から考えても、これはかなり少ない數(shù)字だ。日本はこれまでずっと、南京市の外資投資元國のトップ5に入って來た。中國の六朝時代の都である歴史あるこの街は、800萬余りの常住人口を數(shù)える。300キロ離れた上海に住む日本人は5萬人近くにのぼる。
だがこの極めて少ない南京の日本人居住者數(shù)も、溫度計の値のように敏感に動き続けている。経済や政治の環(huán)境のごくわずかな変化に、この數(shù)字は敏感に反応する。
「南京」と「日本」との組み合わせはここ80年、暗いイメージを喚起してきた。想像を絶する凄慘な悲劇。今年2017年は、中國侵略舊日本軍による南京大虐殺の80年目の記念の年にあたる。
南京人のほとんどにとって、「日本人」のイメージは遠(yuǎn)いようであり、近いようでもある。普段はあまり見かけないが、ニュースや歴史教科書、テレビドラマ、さらには南京大虐殺記念館を通じて、しばしば見聞きはする存在。
だが南京で日本人を探すのは、実はそれほど難しくない。南京大虐殺記念館から5.3キロほど離れた場所には、日本人が集中して住んでいるエリアもある。南京市中心の新街口から西へまっすぐ18分ほど、1700歩余り行くと、そこは彼らの世界だ。
石鼓路にも近いこの小さな通りには、さまざまな日本料理店が軒を並べている。「昭和體」や「勘亭流」などで作ったような日本らしい字體の看板がネオンライトに照らされ、色とりどりに浮かんでいる。日本語看板は一枚一枚、そびえ立つ旗のようだ。ある口コミサイトで検索すると、南京には「日式料理店」が759軒もあるという。だがそのうち、日本人の開いた店は1ケタほどにすぎない。そんな事情を知り盡くしているのが、兎澤和広だ。
兎澤は、南京日本人協(xié)會の會長で、日本料理店の経営者でもある。南京での暮らしは24年に達(dá)し、南京なまりの中國語を滑らかに操り、中國人の友人からは「偽南京人」とからかわれる。
人口800萬余りの南京に住む500人のばかりの日本人。大海の一滴にすぎない彼らに、人々はいつもは目を向けない。だが白紙に見えないインクが散り、ブラックライトを浴びると浮かび上がるように、彼らにスポットライトが當(dāng)たる時がある。
兎澤和広もそんな時に出會った。2012年、日本政府が釣魚島を「國有化」し、事件となる。関係する中國の機(jī)関や企業(yè)が突然、兎澤との往來を斷った。南京にあった3つの企業(yè)は業(yè)務(wù)困難で閉鎖を余儀なくされた。だが兎澤は、荷物をまとめて帰國するのではなく、すぐに新しい會社を開く決斷をした。南京を離れる気はなかった。
だがそんな兎澤も、毎年12月13日になると、自分が南京人でないことを思い知らされる。兎澤はこの日、南京から「消える」。家で一日寢ているか、ほかの土地に出張に行き、できるだけ目立たないように過ごす。80年前のこの日、當(dāng)時の日本軍は南京に侵攻し、40日余りにわたって街を蹂躙した。この日は2014年から、「南京大虐殺犠牲者國家追悼日」に指定されている。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」 2017年2月1日