いつからか、東京の北側に位置する池袋は在日華人が集まる場所となり、中國の物を売る店や中華料理店、中國語の新聞社などが集合して、「チャイナタウン」となっている。池袋東駅の北口を出ると、たくさんの中國人がそこで待ち合わせる光景をよく目にし、中國語が飛び交っている。(文:黃文■、■は火へんに韋。在日華字紙?中文導報掲載)
東京の各場所にそれぞれの特徴がある。新宿、池袋、渋谷は三大副都心。正直言って、池袋は、俗っぽく、ごちゃごちゃした歓楽街の雰囲気が漂っている。しかし、その自由奔放な雰囲気の中で、とてもリラックスすることができる。在日華人は、池袋で中國各地の名物料理を味わうことができる。例えば、中國東北料理の店では、客も店員も、中國東北地方の方言で會話しており、中國東北部を流れる松花江の川辺にでもいるような気分に浸ることができる。
しかし、池袋は、単に食べたり飲んだりして楽しめるだけの場所ではない。池袋は歴史があり、バラエティに富む文化がある街でもある。
かつて、池袋は日本の前衛アーティストたちが集まる場所だった。大正前期から昭和の戦前まで、池袋には100人以上の畫家、詩人、役者などが集まっていた。作家の小熊秀雄は、池袋駅西口に拡がるアトリエ村を「池袋モンパルナス」と呼び始めたと言われている。モンパルナスとは、フランス?パリのセーヌ川左岸14區にある地區で、1920年代の狂亂の時代、エコール?ド?パリと呼ばれた蕓術家たちの中心地としても有名。今でも多くの人がこの街に特別な思いを抱いており、アーティストの楽園となっている。當時、「池袋モンパルナス」にある家にはアトリエがあり、多くのアーティストがその簡素でありながら、ロマンチックなアート天國で腕と感性を磨き、夢を馳せていた。
昨年末、筆者は豊島區中央図書館で開催された「池袋モンパルナス」をテーマにした地域研究ゼミナールに參加した。そのイベントには、「池袋モンパルナス」の畫家の兄弟や息子なども參加していた。彼らも70-80歳の高齢で、子供の頃に見たり聞いたりした「池袋モンパルナス」に関して覚えていることを一つ一つ興奮しながら語るその姿を見ると、畫家だった兄弟や父親らの光が今でも彼らの人生に輝きを與えているように感じた。今、「池袋モンパルナス」があった場所に住んでいる人たちは、當時の名殘を大切に殘すよう勵んでいる。みんなで池袋の歴史を発掘しそれを保存しているのだ。
2014年から、池袋にある立教大學は毎年、「池袋學」というシリーズ講座を開設している。池袋がなんと「學問」の一つとなっているのだ。學者らは池袋の漫畫の発展の歴史や池袋の鉄道史、池袋の演劇の特徴、池袋の多文化の現狀などの研究にいそしんでいる。
100年前、前衛の「池袋モンパルナス」のアーティストらが、時代の潮流を牽引し、當時のロマンチックな風は今の池袋にも影響を與えている。演劇、アニメ、絵畫などのアートは依然として池袋で発展を続けている。日本の地域文化の継承を池袋で垣間見ることができる。