いくつもの大小のトンネルをくぐって、私は箱根から伊豆半島にやって來(lái)た。ここでは一年中、太陽(yáng)が降り注ぎ、春のような暖かさが続く。ほかの場(chǎng)所で桜がまだ咲き切っていない頃からもう、ここの山間の道端の野桜は錦のように鮮やかに咲き誇り、あるものはすでに美しく散り始めている。
私は『金色夜叉』の足跡をたどって、海沿いの山道を通って伊豆半島の入口である熱海までやって來(lái)た。海に沿った道端には物語(yǔ)にちなんだ有名な銅像があり、小さな公園となっている。私は、別離の瞬間にあって別れ難く結(jié)びついている二人の姿をじっくりと観察した。許しを求めるお宮の膝を貫一が下駄で足蹴にする。振り返ることなく傲然と歩き去る次のシーンが見(jiàn)えるようである。お宮は、何かを言いたいが口にできない表情で、心の奧深くにある矛盾した気持ちを吐露している。
熱海がこれほど有名になったのは『金色夜叉』のおかげだというが、熱海の孤獨(dú)な太平洋の風(fēng)景こそ、『金色夜叉』の胸の引き裂かれるような情感に絶好の場(chǎng)面を與えているとも言える。また『読売新聞』に連載されたからこそ『金色夜叉』がこれほど有名になったという人もいるが、この小説のユニークな物語(yǔ)や情感、文學(xué)的境地こそ、『読売新聞』が日本で最大の発行部數(shù)を誇る大新聞に急速に発展するのを助けたとも言える。どちらがどちらを生んだかを言うのは難しい。唯一はっきりと言えるのは、『金色夜叉』の物語(yǔ)が熱海というこの太平洋岸の舞臺(tái)で繰り広げられ、悲痛な別離のシーンに人びとが今も思いをはせているということだ。