日本が印刷した中國地図の裏の寫真 長春市の大通りの一角
地図の裏には杭州の西湖の秋月、西湖の長橋、上海市街、広東市街、長春市街、長江三峽、中山陵、長城、蘇州の風(fēng)橋、山西の石仏寺、萬壽山、済南太公祠、明太祖墓などの名所舊跡の古い寫真が印刷されている。左側(cè)には「複製を禁じる。著作権者兼印刷者:東京市日本橋區(qū)濱町3丁51、小山吉三、日本名所図絵社、茅長町3428番、金30銭」などの文字がある。
隆化県政治協(xié)商會(huì)議の王振平副主席は2013年10月26日、同県張三営鎮(zhèn)で歴史文化研究座談會(huì)を開催した際、現(xiàn)地の文化著名人の李久功氏を通し、中國郵政部門を定年退職した86歳の周貴存氏の自宅からこの地図が見つかったと明かした。
周氏の記憶によると、この地図は1993年頃に彼の義弟の尹慶徳氏から贈(zèng)られたものである。収集好きの尹氏は、生活が困難なため一時(shí)黒竜江省で生活していたが、狀況がよくなり再び河北に戻った。地図はその時(shí)に黒竜江省から持ってきたものである。
日本人はこの地図を作成して何をしたかったのだろうか。隆化県博物館の研究員の共同研究によると、この地図が作成されたのは1930年代末から40年代初めにかけてであり、史料によると小山吉三氏は當(dāng)時(shí)の日本のある印刷會(huì)社の社長だった。同博物館の研究員は、「隣國の鉄道?道路交通輸送の情報(bào)、文化名所?舊跡の所在地、鉱物?水産業(yè)?農(nóng)業(yè)などの情報(bào)が細(xì)かく記されていることから、これは日本が中國文化?経済を略奪するための地図だと言える」と分析。
また、「これまでに、國內(nèi)で日本の中國侵略地図が數(shù)種類見つかったが、表が地図、裏が中國各地の名所舊跡の寫真となっているものが見つかったのは今回が初めてであり、歴史研究対象としての価値は極めて高い」と話した。