歴史資料によると、日本では約100年前にはすでに女性の化粧に対する厳しい決まりがあった。その時代、貴族階級の女性たちは40歳になると、女性らしさ隠すため歯を黒く塗り、眉を全て剃り、女性としての黃金時代が終わったことを宣言していた。時は流れ、社會が発展するとともに女性の地位は高まり、明治政府はこの制度を廃止、女性は自分の好みで化粧ができるようになった。さらに、戦後日本人の生活は次第に豊かになり、歐米から化粧品を輸入するようになり、西洋の化粧法を取り入れたが、その後日本人は化粧技術の革新を続け、「東洋美人」を塑像していった。
今となっては、銀座のような繁華街では年齢に関係なく道行く全ての女性がまるで雑誌から飛び出して來たかのように丁寧で美しい化粧をしている。
統計によると、日本國內の化粧品の年間売上高は1萬5000億円で世界2位となっており、この規模は依然として増長を続けている。それもそのはず、99.9%の日本人女性が化粧品を使用しており、オフィスで働く女性のカバンには常に化粧品が入っていると言っても過言ではない。主婦は目が覚めればまず化粧臺に向かってファンデーションを塗るのが習慣になっており、化粧は日本人女性の一日の始まりなのである。
「朝ファンデーションも塗らずにいたら、なんだか気分が落ち著かないんです」(主婦)。
「朝、私が妻の代わりにごみを捨てに行かないと、妻の化粧の時間がなくなってしまう」(男性サラリーマン)といった言葉からも、化粧が日本人の生活の一部になっていることがわかる。
そのため、日本人女性は日ごろのスキンケア以外に、高い化粧技術が身につくようになるのだ。歐米人の真似をしていた60年代、70年代は「厚化粧」が人気だった。80年代になると、「薄化粧」の方がより東方の女性の自然な美しさを引き出せると考えるようになり、化粧は生活に溶け込んでいった。80年代初頭では山口百恵の化粧が當時の日本人女性が競って真似をする対象となっていた。
「中國網日本語版(チャイナネット)」 2014年3月1日