「支那事変記念寫真帖」の表紙。中は戦死した軍人の寫真とその「業績」が記されている
日本が中國を侵略した時に行った「南苑の戦い」では、29軍の佟麟閣副軍長と132師の趙登禹師長が亡くなったが、日本で戦死した最高の士官はわずか少佐1人だった。抗日名將記念館は最近、抗日戦爭期の資料である「支那事変記念寫真帖」を手にした。この資料には「南苑の戦い」の狀況が詳細に記録されており、非常に重要な歴史的価値がある。
「支那事変記念寫真帖」は、盧溝橋事変後に日本陸軍が出版したもので、抗日関係の資料を収集している王錦思さんが日本から手に入れた。最初の20ページには、南苑と団河の戦いで情け容赦なく中國の軍民を虐殺し、戦死した93人の日本軍人の寫真と氏名、「手柄」が紹介されており、そのあとは「南苑兵営戦爭」や「団河村が戦爭」「保定の會戦」などの様々な戦いや、こうした戦いで亡くなった中國侵略で「功績のあった」911人の軍人の寫真と氏名、「手柄」がまとめられている。
抗日戦爭名將記念館抗日戦爭文化研究會の事務長で軍事科學院の彭訓厚大佐は、「支那事変記念寫真帖」の発見は他の側面から抗日戦爭史研究の根拠となり、史料価値は高いと話す。
「中國網日本語版(チャイナネット)」2010年7月27日