西洋には、日本のサラリーマンに対して神話的イメージがある。では寫真家の眼にはどのように映るのだろうか。
ブルノ?カンケは2006年から日本に在住するフランスの寫真家である。サラリーマンを見て日本に留まることを決意した。レコーディングエンジニアの職にあった時期、彼は休暇を利用して甥と一緒に徒歩旅行で富士山のふもとにやってきた。「徒歩旅行の途中、鞄を抱えて道を急ぐ一人のサラリーマンを見たんだ。私は足を止めて三腳を立て、シャッターを切った。二人の距離はとても遠(yuǎn)かったが、その時の風(fēng)景は今でも強く印象に殘っている。富士山、森、道を急ぐサラリーマン…。」そうカンケは回想する。
次の日、カンケは「プロジェクト?サラリーマン」を立ち上げた。このシリーズは東京のサラリーマンの活動記録のようなものだ。カンケはこのテーマを繊細(xì)な手法で構(gòu)築した。その結(jié)果、社會批評というより「神話性を削ぎ落した自畫像」のような風(fēng)格となっている。近々、一冊の書籍にまとめられる予定だ。
ケニアで初めて見たSugaiの作品「鳥」は、カンケの作品と比較すれば荒削りだ。サラリーマンが常に妥協(xié)の中で暮らしていることを我々は知っている。だから外回りの営業(yè)がベンチで寢そべっている姿の寫真に魅力は感じられない。彼の寫真の一部には、サラリーマンに対する皮肉が見られる。いずれにせよカンケとSugaiの作品群には「サラリーマン研究」では捉えられない視點がある。