四、漢字の道を探る 動と靜が心のままに 古代文字 文字をつくった者が本當(dāng)に蒼頡であれば、彼は魂と思想を持つ蕓術(shù)家に違いない。さもなければ、古代文字がどうしてこれほど奧深くて美しいのか。それによって哲學(xué)者は道理を見抜き、蕓術(shù)家は美しさを発見し、考証學(xué)者は歴史の史料を見抜き、歴史學(xué)者は社會の変革を予見する。古代文字は日常生活からは消えてしまったが、その大きな現(xiàn)実的意義は、埋もれさせるべきではない。 疑いなく、文字をつくること自體が智慧を必要とする哲學(xué)であり蕓術(shù)だ。 古代の文字 太極拳 動なのか、靜なのか。中國人は陰陽五行學(xué)説で一部の生活問題と哲學(xué)問題を解決してきた。その陰陽學(xué)説は武術(shù)にも貫かれている。激しい格闘では、小さな力で大きな力に抵抗できるという柔で剛を制すことがそれだ。戦った結(jié)果、最終的には生理的本能へと回帰する。つまり、靜かで寂しい境地の中で生命の原動力を動かすのだ。老子は「夫(そ)れ物蕓蕓(うんうん)たるも、各々其の根(こん)に復(fù)帰す。根に帰るを靜と曰う、是を命に復(fù)すと謂う」と言った。太極が主張する「內(nèi)靜により外動を求める」とは、ほかでもなくこれこそ、その極意だろう。 ?太極拳 |