1978年10月22日-29日、『中日平和友好條約批準書』交換式が東京で行われ、鄧小平副総理がこの式典に出席した。
日清戦爭が勃発してからの50年間で、日本軍國主義者は幾たびも対中侵略戦爭を起こし、中國は巨大な損失をこうむった。このような暗黒の時代は、1972年9月の中日國交正常化で終わりを告げたが、法律的な面から見ると、『中日平和友好條約』の調(diào)印が、中日間の戦爭狀態(tài)を正真正銘終結(jié)させた。鄧小平副総理の『中日平和友好條約批準書』交換式への出席は、戦後、中國のトップの初めての訪日となり、中日史における重要な契期であった。
10月23日、この歴史的な契期がやって來た。
9時30分、福田首相が赤坂プリンスホテルで歓迎レセプションを催し、鄧小平副総理を歓迎した。
?10時30分、『中日平和友好條約』批準書交換式が日本首相官邸で盛大裏に行われた。
12時30分、昭和天皇と皇后が鄧小平副総理及び卓琳女史と會見した。
15時30分から17時25分まで、福田首相は鄧小平副総理と第1回目の會談を行った。
『中日平和友好條約批準書』を交換した後、福田首相と鄧小平副総理は前後してあいさつをし、『中日平和友好條約』の効力の発生を祝った。嵐のような拍手の中で、鄧小平副総理と福田首相は抱擁を交わした。これは10億人の中國人と1億人の日本人との歴史的な抱擁であり、中日両國人民が世々代々にわたって、友好関係を発展させていくことを宣言した抱擁でもある。
「チャイナネット」2007年9月30日