北京週報 趙玉琳
4日早朝、私たち団員を乗せた車は一路、首都空港のT3ターミナルビルへと向かいました。日航機に搭乗すると、日本人スチュワーデスが搭乗客の一人一人を日本式の笑顔で迎えてくれます。中國の航空會社と日本航空のサービスの差を見つけようとしましたが、見つかりません。このことは私を嬉しい気持ちにさせました。わが航空會社もついに「國際標準」に達したのです。
出発の1日前、日本大使館の道上公使がわざわざ代表団の宿泊先を訪れてくださり、日本の概況を紹介してくださいました。同公使は、自らの目と耳で素顔の日本を感じてほしいと話され、他國を真に理解したいなら、テレビを通じて理解するだけではダメで、自ら足を運んで見て、人々と交流してこそ理解できる、との考えを示されました。この考えには私も同感です。
日本到著後にまず感じたのは、東京の空気が1985年當時よりずっと良くなっていることでした。當時は車の排気ガスの臭いが強くしていましたが、今日は違っていました。ゴールデンウィークのせいでしょうか、街中には人があふれています。街中の通りは相変わらず清潔で整然としており、狹い空間を十分に利用しようとする姿勢がうかがえます。それは例えば、都市建設に立體構造を取り入れているところにも表れています。中國の都市建設を平屋建てに例えるなら、日本のそれは複層式建築と言えるかもしれません。現在、中國の不動産業者が複層式構造をセールスポイントにしているのも確かに道理に適っているのかもしれません。
夜は、日本側が中國代表団のために歓迎宴を開いてくださり、中日雙方が真心あふれる話を披露し合い、悠久の往來の歴史をもつ両國の人々の間に交流を願う強い気持ちがあることが伝わってきました。
貴重な寫真
東京に到著した當日の夜、東京都の日中友好団體が中國青年代表団歓迎レセプションを開催しました。すべてのテーブルは、中國人と日本人が交互に座るのでした。
私が座ったばかりの時、一人の若い日本人女性がそばに寄り添い、互いに軽く頭を下げながら、私は手でどうぞお座り下さいと伝えました。続いて名刺を交換し、言葉を交わし、介護支援の仕事をしている大木智恵子さんだと知りました。