記者:総理は1日に北川県を訪れ、被災地の子どもたちが他の地區の子どもたちと同じように、同じ時期に新學期に入るのを目にされた。子どもたちの笑顔を見て、何をいちばん感じられたか。
溫家寶総理:わたしが最も心を痛めたところについての話だ。私は北川県に4回行ったが、前の3回は笑うことはなかった。笑顔は浮かびもしなかった。學校で亡くなった子どもたちの數をたずねることすらできなかった。子どもたちに辛い気持ちを呼び戻すことを恐れたのだ。だが1日に北川中學の新入生を見た時は、笑顔が浮かんだ。わたしは即席で話をした。太陽はいつか必ず昇ること、未來はいつか必ず明るくなることを話した。あれは子どもたちを勵ますためのものでもあり、わたし自身を勵ますためのものでもあった。つまりわたしは、子どもたちと一緒に奮闘し、新しい北川県を建設しなければならないのだ。わたしは1日に、北川県城(県政府所在地)をおよそ1時間歩いた。映秀鎮と同じく、最も激しい震災の爪痕が殘されていた。あれを見ると涙を催すが、わたしたちはそこから、北川県の人々、ブン川県の人々、青川県の人々、四川省全體の人々が震災を前に示した、強靱で勇敢な、何ものをも恐れぬ精神をも悟った。わたしは北川中學の始業式にも出席し、車椅子の生徒が20人余りいるのに気づいた。今回の震災で負傷した子どもたちだ。わたしは歩み寄り、1人1人と握手をした。「力強くね」という言葉しか出てこなかった。地震直後に子どもたちに語りかけたように、生き殘ったからには良く生きていくんだよ、それも、より良い人生をね、と。
「記者會見」は中央と地方のメディア10社余りから記者が參加し、40分間行われた。
「人民網日本語版」 2008年09月03日 |