中國政府が送った最初の支援物資が14 日夜、日本?東京に到著した。今回の支援物資は900張のテント、2000枚のタオルケット、200個(gè)の緊急照明など。
「中國國際救援隊(duì)は最初に巖手県に到著した國際救援隊(duì)で、一番に震災(zāi)後の救援活動(dòng)に駆けつけた國際救援隊(duì)でもあることから、日本政府や地元住民に熱い歓迎を受けた」。北京時(shí)間14日夜8時(shí)、日本で人道主義の國際救援活動(dòng)を行っている中國國際救援隊(duì)隊(duì)員で武裝警察総醫(yī)院醫(yī)務(wù)部副主任の彭碧波氏に電話で話を聞いたところ、同日早朝、救援隊(duì)は巖手県からキャンプ地に集合して出発し、日本の消防隊(duì)と共に捜索?救援活動(dòng)を行ったという。
巖手県の気溫はまだ非常に低く、路面には雪が殘っており、救援隊(duì)の作業(yè)に大きな困難をもたらしている。できるだけ早く捜索活動(dòng)を始めようと、救援隊(duì)は休まずに4トンの救援物資を卸し、すぐに捜索救援に入った。
「(捜索現(xiàn)場に向かう)途上で見聞きした光景は想像を絶するものだった。巖手県大船渡市は海岸に近く、地震と津波に襲われ、多くの家屋が100メートル以上流され、いたるところに地震後に殘された破片が散らばっていた。われわれの隊(duì)員15人は全力で捜索にあたったが、いまのところ生存者は見つかっていない」と彭氏は語り、「明日も捜索活動(dòng)を続ける。希望が少しでもある限り、最後まであきらめない」と力強(qiáng)く話した。
地元住民は中國國際救援隊(duì)にとても親切で、救援隊(duì)のキャンプ地を訪れてできることを自主的に買って出る人が多くいるという。村野さんという被災(zāi)者は熱心に救援隊(duì)のお世話をし、「中國は私たちの隣國です。一番困難な時(shí)に駆けつけてくれて、本當(dāng)に感動(dòng)しています。救援隊(duì)のために何かすることは、私たち自身のためにもなるのです」と救援隊(duì)に感謝の意を表した。
?中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)? 2011年3月15日