23日夜に高速鉄道の追突事故が発生し、39人が死亡、192人が負傷した。高速鉄道の安全性に再び社會の関心が集まっている。しかもその少し前には鉄道部報道官が北京?上海高速鉄道の故障頻発について「鉄道當局はすでに大規模な安全検査を行い、危険性を全面的に調べ上げた。調整期間を短縮し、なるべく早く安定運行に入れるよう努力する」との談話を発表していた。その言葉がまだ人々の耳に殘っているうちに、今回の非常に重大な事故が発生した。非常に痛ましい教訓だ。(人民日報海外版)
北京?上海高速鉄道の開通に國民は驚喜した。「安全、快適、環境保護」「世界一流のクオリティ」、その全てに興奮がやまなかった。想像してみるといい。北京と上海という中國の2大都市の間をわずか4時間余りで移動できる。それも飛行機ではなく鉄道でだ。このすばらしい感覚はまるで、座っているだけで1日に何萬キロも移動したことになる地球の自転のようだ。
われわれには誇りを抱くだけの理由がある。中國は高速鉄道が世界で最も急速に発展し、歐米人ですら「中國が本當に世界をリードする」ことを疑っていない。だが先進國と比較すると、いかんせん中國の高速鉄道は歴史が短い。短期間に列車をスピードアップして「高速鉄道時代」に入ることはできても、サービス意識、バックアップ水準、安全管理などの面でしかるべきレベルに到達するには、まだ長い道のりを要する。
高速鉄道の導入以來、鉄道當局の宣伝はほとんどが過度の稱賛だったと言える。たとえば「高速鉄道は全天候型で、輸送量が大きく、人間本位で環境にやさしい、大衆向きの交通機関」といった宣伝文句を常に耳にした。だが今回、雷雨になっただけで架線が故障し、停車や遅延が生じることが露呈した。いわゆる「全天候型」は名ばかりだ。ほかにもある。北京?上海高速鉄道の開通前に乗客が聞かされていたのは「架線が故障して停電になっても緊急照明、換気、通信用電力を120分間提供できるので、快適性は萬全」というものだった。だが実際には停電後に車內は暗闇に包まれ、気密性の高さから耐えがたい蒸し暑さに苦しめられた。乗務員は正確な情報を伝えなかったし、しかるべきサービスも提供しなかった。
今考えると、運行距離で世界首位に躍り出た中國の高速鉄道ではあるが、速度があるだけでは到底不十分だったのだ。胸に手を當てて自問しなければならない。高速鉄道の運営體制は「事の大小を問わず、少しもおろそかにしない」ものだったろうか?通常と異なる天候への対応マニュアルは十分だったろうか?突発的事態への対応技術?設備は十分に整っていただろうか?停電や遅延が生じた場合、どう乗客に対応すべきなのか?損害の負擔はどうすべきなのか?----。これらのすべてについて整った対応マニュアルと良質のサービスがなければ、「人間本位」は絵空事ではなかろうか?
高速鉄道は先進技術の塊ではあるが、新しいタイプの交通手段であり、運営過程でいくつか問題が生じてもおかしくないということは否定できない。以前、高速鉄道は「絶対的な安全性」のために最高速度を引き下げたが、人々の批判や不満を招くことはなかった。安全性を最優先した上での判斷であり、それこそ人々が最も望んでいることだからだ。だが最高速度の引き下げは高速鉄道の理性的な発展の第一歩に過ぎない。最高速度の引き下げ後もこれほど多くの問題が生じていることは、改善を要する安全面の課題がまだ多くあることの証しだ。特に23日の大事故については徹底的な調査と処分を行い、的確な教訓を導き出し、高速鉄道の発展において常に安全運営を最優先するようにしなければならない。同様の悲劇を再び起こしてはならないのだ。
「人民網日本語版」2011年7月26日