嶗山灣に上陸した英軍と日本軍
1914年7月28日、第一世界大戦が勃発、山東省?青島を攻略する時機が到來したとみた日本は、直ちに戦闘準備を整え、青島攻略の作戦を立てた。
當時、中國國內では青島を奪回するべく、ドイツへの宣戦布告を求める聲が高まっていた。一方、ドイツはヨーロッパでの戦いで極東に気を配る余裕がなく、他國の手に渡らないよう膠州灣を中國に返還しようとしていた。しかし腐敗しきった北洋軍閥の袁世凱政府は日本の帝國主義の暴威に脅され、ドイツと交渉を進めることができなかった。
1914年8月15日、日本は9月15日までに全膠州灣の租借地を無條件で日本に引き渡すとともに、日本及び中國海上のドイツ軍艦を直ちに撤退、撤退できない軍艦は直ちに武裝解除をするようドイツに最後通告する。日本政府はさらに、8月23日正午までにドイツ政府から無條件で受諾する回答が得られない場合、日本は必要な手段を講じるとの聲明を発表した。
8月23日、日本はドイツに対して正式に宣戦布告。同日、日本海軍の第二艦隊が膠州灣を封鎖した。日本はドイツに宣戦布告後、直ちに二手から山東省に向けて出兵させた。