第二次世界大戦から早半世紀余りが過ぎた。人類史上最大規(guī)模かつ最も悲慘で、善悪がはっきりした戦爭だった。しかし日本人はなぜ今でも歴史の事実を率直に受け入れようとしないのか?しかも善悪を逆さまにし、歴史を否定しようとする強大な勢力が常に存在するのか?
◇対外征服の「業(yè)績」を否定しない
世界文明からすれば、日本は後発者だ。明治維新後、日本は全力で西洋に學び、國力を飛躍的に前進させた。しかし日本が本當に學んだのは主にその器と実用面だった。思想、文化、精神面も日本は幅広く導入したが、自由民主思想はずっと「外來」もので、日本文化に溶け込むことはなかった。
19世紀末から20世紀初めにかけ、日本の國力は徐々に強まるが、政治的には開明派が軍國主義派に圧倒されていき、日本の世界における「業(yè)績」が侵略拡大と結(jié)びついた。日露戦爭、日中戦爭に日本は勝利し、第一次世界大戦でも日本は戦勝國側(cè)で甘い汁を吸った。日本の長い伝統(tǒng)を誇る武士道の精神は日本人の栄光と恥辱を戦爭の勝敗と関連づけた。
戦後の日本が軍備放棄を余儀なくされ、経済的に目覚しい成果を挙げたことは認めざるを得ない。新しい情勢下にあって日本は武力によって國際的地位を勝ちとる必要はなかったが、対中侵略戦爭を完全に否定すれば、19世紀末以降の対外征服の「業(yè)績」を否定するになる。そうなれば日本人が世界に誇れる伝統(tǒng)は何が殘るのか?日本人はその點に自信がない。だから過去の罪を完全に否定したくないのだ。
◇國際社會が日本を容認