本質的に言って近代オリンピックは現行の國際貿易、経済、政治システム同様、歐米主導の産物である。オリンピックルールの発言権や競技場での主導的地位は長年、歐米諸國に獨占されてきた。時代は変わりつつあり、オリンピックも変わりつつある。中國を含む新興大國の集団的臺頭により伝統的な獨占狀況は打破された。少數の歐米諸國がオリンピックルールの発言権と競技場での主導的地位を獨占する時代は過去のものとなりつつある。中國選手団に対するいわれなき非難は、中國がすでに実力相當のライバルとなり、いくつかの分野で上位に到達してすらいることをまぎれもなく物語っている。
中國選手団をめぐる雑音は、すでにスポーツの範疇を超えている。「偏狹」さらには「ヒステリック」は中國の臺頭に対する恐れと不適応の噴出であり、負けを認められない意識の露呈だ。近年、経済や科學技術で中國が重大なブレークスルーを成し遂げるたびに、でたらめな話を聲高に唱える者が出てきている。これによって一部の人は少しばかり心の均衡を保つことができるのかもしれないが、麻酔効果が切れれば、さらに悲しい思いをするのではないか?
競爭の中で進歩し、競爭の中で向上する。これがオリンピックの精髄であり、魅力でもある。広義の「より速く、より高く、より強く」への追求が人類社會の全面的な進歩を促す。この過程において、世界は必ずパワーバランスの変化を経験する。上位にいることに慣れた人たちが、時代の変遷を感知して、それに順応するまでには、確かに苦しい心の歩みを必要とする。だが情勢は人よりも強い。他人の心情いかんによって、中國が自らの歩みを減速することはあり得ない。
われわれはやはり落ち著いた気持ちでロンドン五輪を観戦し、「より速く、より高く、より強く」の魅力を中國や他の國々に見せてくれる選手達に応援と喝采を送ろうではないか。われわれが民族復興への道を大きな歩幅で進むには、挫折に耐えることを學ぶ必要がある。また、それ以上に堅忍不抜の努力が必要なのだ。
「人民網日本語版」2012年8月9日