1845年、米國はテキサスを併合した。ワシントンは隣國(メキシコ)に対し、同國から離脫していた領土(テキサス)の米國への併合だけでなく、新たな國境の線引きも求めた。米國はその立場を挑戦的な軍事行動によって支え、論爭のある領土を占領した。ほぼ同時期、ワシントンは米國とカナダとの西部の國境問題についても大英帝國に好戦的な姿勢を示した。米外交専門誌「ナショナル?インタレスト」が伝えた。
北京の東アジア海域での行動も同じような印象を與えるものがある。中國が経済大國となるにつれ、軍事?外交の影響力は高まり、世界と地域の秩序への圧力は高まっている。島嶼の支配は資源の所有権と海上の主導的地位を得ることを意味する。中國にとっては、かつて重要性がないまたは無価値と考えていた場所への領土要求を行う推進力となっている。米國の軍事力は依然として最強だが、もはやそれほど恐るべきものでもなくなっている。
170年前の若い米國が示したように、領土の紛爭においてはしばしば事実は重要でなくなってしまう。その合法的権利は、國家の歴史と制御権、國際法と條約との複雑な相互作用にかかることとなる。北京の領土要求は行き過ぎに見えるが、合理性がまったくないとも言えない。少なくとも米國が當時、メキシコや大英帝國に対して行った要求くらいには合理的と言える。