1980年代中頃、アメリカの手によって日本円が急激な円高へと仕向けられたことによって、日本経済は數十年にわたる停滯に陥り、日本経済が覇権的地位を得ようとする挑戦ももくずと消えた。日本は事実上、金融の「切腹」をせざるをえない事態に追い込まれたのである。
この論理はかつて日本の極端な民族主義者の間でのみ語られていたものだが、現在では人民元為替の高評価を拒む証左として中國當局に用いられている。しかし、このような考えは日本で起こったことを理解し違えているし、中國経済が直面している本當の脅威を認識していないことになる。本當の脅威は人民元切り上げにあるのではなく、他の局面にあるのだ。
日本の當時の狀況を振り返ってみよう。1985年にプラザ合意が締結されたとき、G5は為替の大幅調整を「奨勵」することにより、世界的な不均衡を是正しようと試みた。その不均衡狀態は當時かなり切迫していると考えられていたが、今日の基準で見るとそう甚だしいものではなかったと思われる。彼らは目的を達成したが、日本円は一直線に上昇を続け、再び戻ってくることはなかった。