このような互いの悪感情を消すことは「できない」のか、それとも「消したくない」のかは難しいところだ。たとえば日本は戦爭(zhēng)問題について、すでに何度もいろいろな場(chǎng)所で謝罪を行っているが、いつまでたっても中國を含む隣國から満足してもらえないと不平をいい、一方の中國は、日本が戦爭(zhēng)の罪を真剣に反省していないといつも批判している。
もし歴史的な視點(diǎn)を広げれば、中日の交流は數(shù)千年にのぼり、敵対の歴史は最近の100年間だけだ。日本は古代、中國から政治、文化、科學(xué)技術(shù)?生産など多くの知識(shí)を?qū)Wんだ。中國からもたらされたこれらの知識(shí)は日本の民族性の一部を形作っている。一方の中國も、思想と社會(huì)の現(xiàn)代化プロセスにおいて、一歩先を進(jìn)む日本からの収穫が非常に多かった。言語學(xué)者の統(tǒng)計(jì)によると、現(xiàn)代中國語における科學(xué)名詞の70%は日本から輸入したものだ。たとえば、「科學(xué)」、「民主」、「哲學(xué)」、「物理」、「教育」、「社會(huì)」などが挙げられる。これらの単語は明治時(shí)代、日本の學(xué)者が西洋の科學(xué)書籍を翻訳した際に漢字を使って作成したものであり、その後、日本に留學(xué)した學(xué)生たちにより中國にもたらされた。現(xiàn)在、これらの単語はすでに我々の思考の一部と化しており、これらの言葉が頭の中から消えてしまったら、我々は言葉を失なってしまうかもしれない。
現(xiàn)代的な學(xué)科體系の構(gòu)築においても、日本は中國より先に西洋から學(xué)習(xí)し、中國にそれを伝える仲介役となった。日本が近代史において中國に対する優(yōu)位を確立した後、日本のエリートの一部は、文化の上で中國に恩返しをしようとまで考えたという。日本は古代において中國から非常に多くのものを得たからだ。