3月11日午後2時(shí)46分、M9.0の大地震が日本東北地方を襲った。その數(shù)日後、福島原発事故による放射能汚染の不安で日本はパニックに陥った。日本人は當(dāng)初、政府に対して危機(jī)を無(wú)事処理できるという信頼感を持っていたが、それが少しずつ政府に対する不満と、騙されているのではないかという不安に変わって來(lái)ている。今回の天災(zāi)が引き起こした人災(zāi)により、戦後の日本社會(huì)の深層にあった悪弊が明らかになった。環(huán)球時(shí)報(bào)が伝えた。
第一に、戦後の日本の行政?官僚制度の問(wèn)題。米國(guó)が主導(dǎo)する民主化のプロセスは日本の戦後の復(fù)興を後押しした一方で、日本社會(huì)に大きな影響を與えた。走馬燈のような選挙政治が日本の政治に覆いかぶさり、選挙の専門(mén)家が次から次と誕生した。彼らのほとんどは、社會(huì)の管理や重大な社會(huì)?政治?軍事?経済問(wèn)題、そして安全危機(jī)の対処が専門(mén)ではなく、経験にも乏しい。菅直人政権と東京電力による福島原発事故の発表は曖昧であり、政策決定にもこれという良い點(diǎn)はなく、さらに原子力設(shè)備のような潛在的な危険性を持つプロジェクトが、國(guó)の安全保障の範(fàn)囲に組み込まれていなかった。危機(jī)の中、內(nèi)閣総理大臣は報(bào)告を待つだけで、実際の作業(yè)は東京電力任せだったため、危機(jī)処理の最大チャンスを失った。政府は原子力危機(jī)の処理プロセスの中で求心力を失い、指揮?実施に向けた行動(dòng)力をも失ったようだ。
第二に、日本國(guó)民が基本的に安逸な生活を送っているという環(huán)境。戦後に生まれ育った世代、特に若い世代にはもろくて壊れやすい「ガラス」のような心を持つタイプが非常に多い。このことは自衛(wèi)隊(duì)の素質(zhì)にまで影響を與えた。自衛(wèi)隊(duì)は體制的には公務(wù)員と似ている。今回の救援では、社會(huì)と國(guó)民が重大な危機(jī)と災(zāi)難に直面しているにも関わらず、彼らはやはり事務(wù)的に、規(guī)律通りかつ無(wú)難に行動(dòng)を取り、捜索現(xiàn)場(chǎng)であってもまるで散策しているかのようで、國(guó)民のために犠牲となり、勢(shì)い良く前進(jìn)しよういう気概や力強(qiáng)さが感じられなかった。