日本企業もこの問題は認識している。2004年、ソニーは米國事業を統轄していたストリンガー氏を同社の新CEOに據えた。これは日本の科學技術企業にとって歴史的な出來事だが、それは同氏が日本語を解さないからだけではなく、それまで日本企業の経営陣の中樞に入った外國人がほとんどいなかったからである。ソニーが世界に名の通ったグローバル企業であり、社員の70%が日本人以外だったとはいえ、外國人CEOは前代未聞であった。
ストリンガー氏はエンジニアではないこともあり、映畫事業と音楽事業を推し進めることに積極的だった。2006年のソニー年度管理大會で、彼は最も重要な役職をソフトウェアエンジニアに與えたことで、それが會社の將來にとって重要であることを示した。しかし日本人社員は、ソニーは電子機器の企業でありエンターテイメント企業ではないと考えていたため、ストリンガー氏がこの姿勢を示すたびに、心境穏やかでなかった。
しかし彼は確かにソニーに変化をもたらした。會社を黒字路線に戻し、失敗を許せる素地を広げたと同時に、ソニーの伝統とソフトウェア文化の両方を理解し継承しえる後任者、平井一夫を招聘したのである。
「ソニーは神話崩壊の危機を迎えるたびに生き返って強さを取り戻す」と出井伸之氏はソニーの魅力を『ソニー神話、五たび潰える』のなかで語っている。この言いようを聞くと、中國の古い伝説に生きる鳳凰が思い起こされる。ただし今日(こんにち)の日本において、炎を浴びて生き返るべきは決してソニーだけではない。
「中國網日本語版(チャイナネット)」 2012年3月6日