現在、流行のドラマで中山服や旗袍(チャイナドレス)を著た俳優を頻繁に見かけるようになった。それにともない「國民服」に対する議論が盛んになっている。
「服裝には政治、経済、民族から個人の品位にいたるまで、様々な情報が內包されている」。長年にわたり服飾史の研究をしている東華大學服裝學院の包銘新教授は「服裝は國家制度の重要な要素だ。國民服とは制度化された服飾であり、それを著ることで國家、民族、個人のアイデンティティが視覚化できる」と述べる。
中國は東漢の時代より民國年間まで、各王朝で『輿服志』のような服飾制度の書物を殘してきた。包銘新教授によれば、過去の封建王朝は階級や権力を服裝で區分しており、服裝の規範も政権交代によって変更されてきたという。辛亥革命後、特に新中國成立後は、自由?平等?民主の提唱により、服裝による身分や貴賎の區分は制度として反対されるようになった。そのため、軍隊や郵便といったわずかな職種以外、このような服裝制度は消滅することになった。
社會の発展に従い、中國人は國際交流活動や重大な行事が増加してきた。また服裝への欲求が高まり、センスが徐々にアップしてきた。そこから、國家的アイデンティティや個人のセンスを、服裝を通じて見せたいという欲求も日増しに高まることになった。「著られればなんでもいい」という発想は、昔の話なのである。
2008年の上海國際服裝文化フェアでは「和諧?ファッション?國民服」と題するフォーラムが開かれた。內外の専門家が集まり、中國の國民服について議論したものだ。またこの數年、何人かの全人代の代表や政協委員が、代表會議で「國民服」案を提出しようとしている。
日本には和服が、韓國には韓服が、ベトナムにはアオザイが、インドにはサリーがある。これらの服裝は、濃厚な民族的要素によって國家的魅力をアピールしている。ある場所で國民服を著ることが、時にはその人の姿勢や立場を示すことになる。では、悠久の歴史を持ち、多くの民族を抱える広大な中國では、どんな服が國民服として相応しいだろうか?