林國本
このところ中國では高速鉄道建設の高揚期にさしかかっている。私自身東京に6年間滯在して取材などで新幹線をよく利用していたが、実に便利で、いつも座席に座って、中國はいつこのような交通インフラが整備される日が來るのだろうと思っていた。ジャーナリストとしての人一倍旺盛な好奇心から、當時「文蕓春秋」社から出版されていた「超高速に挑むー新幹線開発に賭けた男たち」(碇義朗著)を何度も読み返したことを今でも覚えている。また、特派員の任期を終えて帰國してから、友人の推薦で、日本の専門家たちと中國の鉄道関係者とのセミナーの同時通訳をお手伝いしたこともはっきり覚えている。當時、中國としては新幹線のようなものをいつかは中國にもつくって、鉄道輸送の逼迫狀況を解決しようとしていたのだ。
北京オリンピックの開催を契機として北京―天津間を半時間で結ぶ高速鉄道が完工した。それまで天津へ遊びに行くには丸一日をつぶすか、一泊して帰る覚悟をしなければならなかったが、それ以後は東京から東橫線で橫浜の中華街へ行って中華料理に舌鼓を打ち、関內の商店街をぶらぶらして午後には東京へ帰るような気分となった。さいきんでは山西省の太原から北京にショッピングに來ている人もいるらしい。交通手段の高速化あるいはスピードアップによって、人々の時空感覚も変化し、ライフスタイルの変化も促しているような気がする。
広州から武漢までの寢臺車での旅をしてみたいという広東人の友人がいたが、私は「それはもう時代遅れだよ」と言った。なぜなら、今では高速鉄道で2時間ちょっとの旅で、わざわざ狹苦しい寢臺車のコンパートメントでガタ、ゴトンと揺られて旅をする必要はなくなったのである。