林國本
最近、テレビで寧夏回族自治區(qū)の首府銀川市で開催されたポップミュージックの公演の中継放映を観て、寧夏回族自治區(qū)の発展ぶりに深い感銘を覚えた。もちろん、沿海部の省と比較すればまだまだ格差があることは否めないが、かつての寧夏をいくらか知っているものにとっては、內(nèi)陸部にあるこの地域の発展は大方の予想を上回るものがある。
実は數(shù)年前、友人のアレンジで日本の一橋大學(xué)と寧夏の関連部門とのセミナーに參加する機(jī)會(huì)に恵まれ、その際、私は「西部は遅れている」、「改革、開放と発展は難しい」という私の先入観を覆すものを感じた。
まず、ふだんよくいわれている西部の人たちは改革、開放の意識(shí)の面で遅れている、という先入観が吹き飛ばされたことである。地元の政府関係者やシンクタンク関係者との觸れ合いの中で、この人たちが私たちいわゆるジャーナリズムの世界に身を置いているものとほとんど同じくらいのレベルの知識(shí)を持っていることであった。つまり、自分たちの置かれた地域をいちはやくテークオフさせるにはどうすればよいかについて、ハッキリした考え方を持っていた。
そして、このセミナーにあわせて、寧夏各地をまわって視察した一橋大學(xué)の地域産業(yè)分野の専門家も、このセミナーで発言し、寧夏のプラス面について詳しく自説を述べた。ちなみに、この専門家は帰國後、寧夏についての著作を発表している。私はまだ現(xiàn)役の頃にもこの専門家の溫州経済についての著述にも目を通していたので、他者の眼で自分たちの地域を見たものにも、大きな參考価値がある、と思っていた。
とにかく、寧夏はかつては食糧の自給すらできなかった地域であったのに、最近は自給自足を達(dá)成したばかりか、いくらか余分もある、ということだった。つまり、地元に適した開発戦略をとれば、寧夏も前途有望だと言えるのである。
今回、ポップミュージックの公演の合間に紹介された地元の気候條件を生かしたブランド品のブドウ酒づくり、地元のオアシスを利用した稲作農(nóng)業(yè)の発展などはすばらしい。とくに取り上げたいのは公演の合間に組み込まれた地元の回族の女性たちのファッションショーはすばらしかった。この出し物を観てとっさにひらめいたのは、これらのムスリムの少女、若い娘さん、中年の女性、高齢の女性のファッションは、中近東地域に輸出したら、大いに受けると思った。
私見であるが、西部の人たちはマイナス面だけを見ていてはダメだと思う。西部地域にもそれなりの強(qiáng)みがあることだ。たとえば、中國にはユーラシアランドブリッジという江蘇省の連雲(yún)港からオランダのアムステルダムに通じる鉄道がある。寧夏はこの鉄道を利用して、それこそ現(xiàn)代のシルクロードの利を手にすることができるのではないだろうか。コンテナー輸送というもので、往時(shí)のラクダのキャラバン以上のメリットを享受することができるのだ。
寧夏は、西夏王國の王陵という世界でも珍しい遺跡があり、また、世界の學(xué)界で注目されている西夏文字の発祥の地でもある。これを観光資源、學(xué)術(shù)研究の資源として使う手もあるのではないか。また、アジアで有數(shù)のモスクもある。ここで西夏文字研究シンポジウムを開催し、観光とショッピングとも結(jié)びつけることもできるではないか。また、乾燥地帯が多いと言うのなら、乾地農(nóng)業(yè)の研究基地になることも不可能ではない。
最近は海のシルクロードでは海賊さわぎで海運(yùn)のコストが高くなっている。低炭素社會(huì)の構(gòu)築では鉄道輸送も再認(rèn)識(shí)されつつある。中國の西部地域が発展すれば中國全體の発展をさらに加速させるに違いない。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2010年12月6日