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サーチナCEO?端木正和氏:留學生から起業家へ
発信時間: 2008-11-28 | チャイナネット

1995年、端木氏は大學卒業後、日本の企業に就職した。「小さい頃から、父のような法律家の道を志しており、特に起業家になりたかったわけではなかった。しかし、卒業した時に、大學で勉強した法律の知識だけでは弁護士になりにくいことを発見した。そして、日本と中國の交流を進める仕事をしたいと思った」と言う端木氏は、會社で約三年半働いたものの、それは自分の思い描いていた仕事ではないという思いがますます募り、退職を決意した。「進學と就職を通じて感じたのは、日中間には大きな壁があり、両國國民の相互理解に誤解が起きやすいということ」と言う端木氏には、「この壁を取り払いたい、本當の中國の情報を日本語に翻訳して日本國民に伝えたい」との想いが芽生え、中國の情報を客観的に伝える日本語のウェブサイトを創立することを決意した。

退職する半年前から、端木氏はパソコンを購入してホームページの制作を獨學で進めていた。さまざまなホームページを參考にし、そのソースを勉強し、検索エンジンを作成できるようになった。退職後、端木氏は會社員時代に貯めた100萬円を使い、販売代理店業務を始めた。1998年6月、個人サイトとして『中國情報局』を開設した。

創業するのは簡単なことではなく、留學生の海外での創業は更に難しい。會社を辭めて安定した収入源がなくなり、端木氏は生計を立てることに奔走しなければならなかった。「お金も身寄りも人材もなく、しかも中國人のため社會的信用も得られない。日本人の創業が『ゼロ』からのスタートだとすれば、中國人の創業は『マイナス』からのスタートという狀況に余儀なく追い込まれた」と彼は當時を振り返る。中國の醫療器械や廚房用品からお茶や雑誌に至るまで、あらゆる商品を取り扱った。「その頃は、大きな旅行カバンを片手に秋葉原へ出向き、倒産した會社のテープレコーダーやカメラを安く仕入れて転売したこともあった。辛い日々だったが、振り返ると私の人生で最も充実していた時期だった」と彼は言う。

その辛かった時期にも、端木氏はずっと中國情報のウェブサイトを開設するという信念をしっかりと持ち続け、個人サイトを充実させていく過程で、だんだん多くの同じ夢を持つ仲間に出會った。みんなの協力で『中國情報局』は急速に成長していった。1999年9月、『中國情報局』が法人化され、株式會社サーチナが正式に設立された。「日中の友好関係を保つための一つの方策として、分散している中國情報を體系化し、共有することが必要だと気付いた」端木氏は、「『中國情報局』を自己満足の『作品』にするのではなく、市場価値のある『商品』に転換する必要がある」と考えた。

2008年10月、優れた起業家として「アントレプレナー?オブ?ザ?イヤー」

絶えず努力、著実に成長

端木氏は「サーチナは安定して著実に成長している」と言う。株式會社サーチナは日本最大規模の中國情報専門ポータルサイト「サーチナ」(舊「中國情報局」)を運営し、創業時から中國情報の體系化に力を入れてきた。主要商品は、中國株情報の配信?ASPサービスと広告?プロモーションサービスの提供だ。そして、中國の主流メディアや國営通信社などと連攜し、在中國日系企業に向けたメディアサポート、コンサルティングも行っている。

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