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梅蘭芳と市川猿之助との縁~通訳の目から①
発信時間: 2009-02-25 | チャイナネット

中國の京劇俳優?梅蘭芳を描いた映畫『花の生涯~梅蘭芳~』が、まもなく日本で公開される。梅蘭芳を団長とする中國京劇代表団は1956年5月に訪日、歌舞伎界の巨匠である市川猿之助は、梅蘭芳が訪日する1年前の1955年10月5日に訪中しており、中日交流史に輝かしい足跡を殘した。54年が経った今、當時の様子や梅蘭芳と市川猿之助という2人の名優の縁について、市川猿之助の中國公演に同行して通訳した曽麗卿さんにインタビューした。

―市川猿之助はどんな人でしたか。

曽麗卿:最初は口が重い人のように思いましたが、公演が成功するとだんだん明るくなり、私もほっとしました。市川猿之助の口が重いように感じたのは、公演について色々心配し、北京に來るまでの數日間、眠ることができなかったからだということでした。トップレベルの役者でも、蕓術や仕事に対して非常に真面目に取り組んでいる様子をひしひしと感じることができました。

―梅蘭芳は市川猿之助と京劇の『洛神』を演じたそうですが、2人の交流はどのようなものだったのか。

曽麗卿:市川猿之助の北京公演の合間にレパートリーの『洛神』を演じ、歌舞伎と京劇の女形の演技や、京劇俳優の養成システム、日常生活と演技との関係についていろいろ話し合っていました。また梅蘭芳は、1919年に日本を訪問した時に中村雀右衛門から化粧の方法を教わり、そのあとずっと日本から持ち帰った筆やハケで化粧をしていると話していました。

―新中國成立後、最初に行われた訪中公演について。

曽麗卿:とても高いレベルの蕓術交流でした。日本の歌舞伎と中國の京劇はともに両國の超一流の蕓術です。市川猿之助の公演は、中國の京劇愛好者に、日本にも古典劇があり、內容も京劇と同じようで、忠義と才幹を稱えるものだということを紹介しました。

そしてこの歌舞伎座の訪中は、その後ほかの蕓術団體の相互訪問の道を切り開きましたし、翌年の梅蘭芳の訪日公演も実現しました。その後、バレエや新劇などの蕓術団がほぼ毎年、中國を訪問しています。

市川猿之助の中國での公演の大きな意義は、両國の人たちの距離を縮めたことです。當時はまだ新中國が成立してからまだわずか數年しか経っておらず、両國間にはまだ外交関係が樹立していませんでした。日本の人も、社會主義の中國の國民がどんな生活を送っているか知らなかったと思います。舊日本軍の印象がまだ鮮明だった中國の人たちが、この公演をどのように受け入れるかも分からない頃でした。

しかし訪中団は、公演先で関係責任者の歓待を受け、言葉が分からなくても蕓術が分かる観客の大きな歓迎を受けました。訪中公演は大成功で、市川猿之助一行は、中國で感じた深い友情を持ち帰り、中國に親近感を深めたと思います。深センから中國を発つ時、日本の俳優たちは別れを惜しんで涙を流しました。市川猿之助は、蕓術の使者であるとともに平和と友好の使者でした。

(文中は敬稱略)

「チャイナネット」2009年2月25日

 

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