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見落とされた中日両國の黃金時代 |
発信時間: 2009-04-01 | チャイナネット |
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1904年、東京で紹興出身の留學生と記念寫真を撮る魯迅(後列右) 1901年以降、中國人は文化と軍事の分野だけでなく、日本の方式を參考にして、警察官と刑務所システムの改革を行った。このような改革は同様に司法分野に及んだ。変革派の大臣らは日本のような立憲君主制が王権をよりよく守ることができると考え、これを推進しようと準備した。
1972年から1989年までは中日國交回復直後のいまひとつの黃金時代を迎えた。罪悪感を抱く日本は実際行動を通じて中國の経済発展を援助してくれたが、日本人は中國に巨額の援助を與えたものの、これが中國の大衆にあまり知られていないことによく不平を言う。
1989年以降は中國経済の急成長によって、日本人は中國を脅威と感じることになると同時に、雙方とも昔の歴史に効果的に対処する方式を見つけることができずにきた。日本が20世紀の中國に対して犯した、許すことのできない罪悪によって、中國は半世紀を経ても依然として日本を正常な國家と見なしたがらないようだ。両國はともに、さかんに言葉を並べて互いを非難し合っているが、さらに深い面で見ると、両國の表面的な憎しみにはいずれもより多様な要素が含まれている。
中日両國の交流史を全面的に念入りに見ることは今日でも貴重な意義を持っている。われわれは1931年から1945年までの怒りの歴史を絶えず喚起させるほかに、1898年から1910年までの黃金時代のことも同様に再認識すべきである。いかなる時代、いかなる國との間でも、憎しみは問題を解決することができない。ジョージ?ワシントンの二百年前の言葉は今日でもなお、この上なく正しい。“他民族に対する愛慕あるいは憎しみの情におぼれる民族は、ある意味で奴隷と化し、このような愛慕あるいは憎しみの情の奴隷になるだろう”。 「北京週報日本語版」2009年4月1日
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