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加藤嘉一:?言語?から未來の中日の実力構図を読む |
発信時間: 2009-07-21 | チャイナネット |
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日本人は中國語を話す努力をすべき もちろん、こうした狀況から「日本人の中國語のレベルが低い」と結論を下すことはできない。このような現象の背後にも両國の國民性から生じる原因がある。だが、中國人を前にして、日本人はなぜいつも積極的に中國語を話そうとしないのか。中國語を勉強しているのに、こうした姿勢を恥ずかしいと思わないのだろうか。多くの日本語を學んでいる中國人の友人は、中學生、大學生、「社會人」を問わず、様々な手を盡くし日本語を話す機會を得て、全力を傾け日本語レベルを向上させようとする。彼らの目には進取の勇気に満ちた輝きがある。では日本人はどうか。なぜ彼らと競おうとしないのか。多少なりとも中國語を習得すれば、必ず直接的あるいは間接的に未來の中日両國の交流に結びつくのだが……。 私はどのようにしても、ある憂慮を振り払えないままでいる。つまり、上述の狀況が続けば、日本は中日関係、中日交流の中で劣勢に置かれるのではないだろうか。中國は近隣の最大の貿易相手國であるため、日本が中國語を習得しこれに精通した人材を育成する必要性は差し迫っている。言語コミュニケーションは相互的である。このため、効果、利便性、合理性などの角度から、日本人と中國人が交流する際、どちらかの言語を選び、どちらかが母國語でない言語を話すことになるのは當然である。だが、ほとんどの場合、中國語ではなく、日本語で話すことになる。
中國人と日本人が英語で交流するのも非現実的 相対的な角度から述べてきたが、中日関係が対等であることを心から望む日本人として、まず、中日両國間において「言語」レベルで、バランスのとれた構図を整える必要があると私は考える。さもないと、文化交流で本當の対等な関係を築くことはできないだろう。 中日両國民は英語で交流すればよいのではないかと提案する人もいるかもしれない。こうした考えも道理に適っているが、中國人と日本人は英語という中國語でも日本語でもない「第三の言語」を使い、あらゆる問題を解決することはできないと私は思う。これには2つの原因がある。1つ目は、日本人の英語のレベルが中國人よりもはるかに低い點。2つ目は、東方文化に屬し、思考方式が非常に獨特である中國人と日本人にとって、完全に西洋言語の英語で相互交流と相互理解を進めるのは非現実的である點だ。 要するに、相手を理解し信頼するようになるには、相手の言語を習得し、それを用いて交流しなければならない。言語は2つの國が交流する重要なツールであり、交流によって生産的な力が生み出されるのである。 ?チャイナネット? 2009年7月21日 |
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