前新華社東京支局局長(zhǎng) 冮冶
ソニーの広報(bào)部と日本駐在の中國(guó)メディアが懇談會(huì)を開いたことがある。その席でソニーに勤めているある中國(guó)人女性が、昨日の夜はソニーのプレイステーションを買うために列に並び、一睡もしていないと話した。
中國(guó)の記者たちにとってこの話は非常に新鮮だった。まさか日本の業(yè)界には「役得」ということがないのだろうか。広報(bào)部の責(zé)任者はこう言った。「商品が非常に不足している場(chǎng)合には、部長(zhǎng)といえども社內(nèi)では買えません。まずお客様のニーズを満足させることが大切です」
愛知萬(wàn)博のトヨタグループ館で披露されたコンセプトカーとダンサーの踴り
日本では通用しない「靠山吃山、靠水吃水」
中國(guó)には「靠山吃山、靠水吃水」という言葉がある。これは山辺の者は山に糧を求め、水辺の者は水を頼りに暮らしを立てる、つまり目的のためにその場(chǎng)にある有利な條件をよりどころとするという意味だが、私たちは普通、それを當(dāng)たり前のことだと考えている。しかし日本でこれは通用しない。
メディアは撮影などのために充電池を使用することが多い。三洋電機(jī)の充電池はとても長(zhǎng)持ちすることから、私たちは知り合いを通じて直接メーカーから購(gòu)入しようと考えた。するとその知り合いは申し訳そうに「量販店で買うより高いですが」と言い、量販店は大量に購(gòu)入するため販売単価が安いと説明した。
私もある企業(yè)がかなりの割引率で自社製品を社員に販売していることは知っているが、全體的に見て日本の市場(chǎng)は比較的規(guī)範(fàn)的であり、製造と販売の區(qū)分はかなりはっきりしている。製品は製品、商品は商品だ。
北京の制服は「使い出がある」
では公共交通やサービスなど他の業(yè)界ではどうだろうか。何年か前に共同通信の報(bào)道で、某市交通局の39歳の男性主任が、市営バスで通勤した6年間に1025回の乗車分37萬(wàn)円を支払っていなかったことが発覚し、停職3カ月の処分を受けたというニュースがあった。
その他にも2年間に8回ただ乗りをした60歳の男性職員は停職7日に、1回ただ乗りした56歳の男性は減給処分となった。しかしこうした行動(dòng)を黙認(rèn)していた責(zé)任者の上司40人も監(jiān)督不十分として処分されたと書かれていた。
このニュースは當(dāng)時(shí)の私にとって非常に印象的で、かなり前に北京で見た、公共交通機(jī)関の制服を著た職員がちょっとあいさつして、切符を買わずに公共機(jī)関を利用している情景を思い出した。私はその時(shí)に、この制服は定期券よりずっと「使い出がある」と思ったものだ。
それと報(bào)道された細(xì)かい數(shù)字にも驚いた。どんな構(gòu)造により算出されたものなのかは分からないが、その記録は非常にはっきりしている。もちろんこのニュースが日本の公共交通システムの中でまれなケースだとは思わない。それにこのような「役得」の狀況は想像しているよりも多く、日本に全く義理人情がない國(guó)だとも言えないだろう。しかし少なくとも?役得?は広く認(rèn)められているわけではなく、行政當(dāng)局の厳しい監(jiān)督を受けている。
最近、日本に駐在したことがある記者と話していて彼はこう言った。「日本の環(huán)境は往々にして人をいい方向へ向わせる。よく見れば理由がないわけではない」
お金を払うのは労働の尊重
18年ほど前に単身で日本に留學(xué)した友人がいる。彼は今、東京で十?dāng)?shù)件の中華料理店を開き、私たちのようなサラリーマンから見れば金持ちになった。(金持ちの彼は交通違反で罰金を取られるよりも、違反點(diǎn)數(shù)が増えるのを恐れている。私とはまったく逆だ)。
その彼と一緒に食事をして、自分の店で食事をした場(chǎng)合に料金を支払うかどうかという話になった時(shí)、彼は一杯の麺を食べても記入しておいて払うと言った。その理由は他でもない単に「悪いから」だ。「日本に長(zhǎng)くいて教養(yǎng)が高まった」。私は心の中でつぶやいた。
お金を支払うということはつまり労働したその人を敬うことである。
「中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)」 2010年4月9日