化學砲弾だけで40萬発以上
「日本人が中國に埋めた毒ガス弾は私の全てを壊しました。私は働く能力を失い、夫や息子も私のもとを去ったのです!」チチハル市で廃品買付所を営む牛海英さん(33)は、5つの錆びついたドラム缶が自分の生活を完全に変えることになるとは夢にも思わなかった。これらのドラム缶、つまり中國を侵略した日本軍が殘した毒ガス弾により49人が負傷し、うち1人が死亡した。チチハル「8?4」毒ガス事件だ。
03年8月4日、牛さんは行商人の李貴珍さんから錆びついたドラム缶5缶を買った。午後6時過ぎ、牛さんは顔がひどく腫れ上がり、涙が止めどなく溢れるのに気づいた。チチハル市203病院で、牛さんは先に搬送されていた李さんを見た。李さんはすでに全身の98%に火傷を負い、片方の肺も火傷で失っていた。牛さんと共に入院した李さんは18日後に息を引き取った。牛さんに対して病院側の出した結論は「イペリット(マスタード)ガス中毒で、免疫力が低下し、治癒の見込みはない」というものだった?!??4」事件からすでに7年経ったが、牛さんは治癒する見込みのない様々な癥狀に苦しめられ続けている。
被害者は牛さんだけではない。使用時間?地點?死傷情況の確かな記録のある日本軍の化學兵器は1241例に上り、中國の軍民に約20萬人もの死傷者を出している。日本軍は1945年の降伏後、大量の化學兵器を中國に埋めた。中日雙方の専門家の推定では、その數は化學砲弾だけで40萬発を超えるのだ!09年12月までに中國15?。ㄗ灾螀^)の58箇所で、日本の遺棄した化學兵器が見つかっている。特に集中しているのが東北3省だ。日本側は2000年12月から計22回の発掘?回収作業を行い、計4萬7000発の遺棄化學兵器を発掘した。これらの化學兵器は現在、中國國內の臨時保管庫に保管されている。
「人民網日本語版」2010年9月2日