2009年「各國(guó)大使館員日本語(yǔ)スピーチコンテスト」受賞作品 政治部 汪澍
2008年12月12日、清水寺の森清範(fàn)?貫主が今年の漢字--変、変化の変を書(shū)いたとき、中國(guó)のマスコミもこの一年の漢字を選びましたーー震、地震の震。四川大震災(zāi)、北京オリンピック、世界金融危機(jī)、この一年間中國(guó)を震撼させることはあまりに多かったんです。漢字一文字を以って、一年の世相を総括する、この日本人の発明はここ近年、中國(guó)で流行し、年始年末の楽しみとなりました。
漢字といえば、奈良平安時(shí)代(中國(guó)唐代)の漢字伝來(lái)を思い出すかもしれませんが、漢字は中國(guó)文化の粋、中日友好のシンボルであるのみならず、近代に入ってから、中國(guó)、日本と世界を繋ぐ絆となりました。
アヘン戦爭(zhēng)、ペリー來(lái)航をきっかけに、中日両國(guó)は西洋が切り開(kāi)いた近代化の流れに巻き込まれました。明治維新を経て、日本は積極的に西洋文明を吸収するようになり、その中で、和製漢語(yǔ)が多く誕生しました。つまり、日本人は漢字を新たに組み合わせることによって、西洋の概念を訳し、新たしい言葉を作りました。
和製漢語(yǔ)が中國(guó)に伝わったのは20世紀(jì)の初頭。近代化に成功した日本は発展のモデルと見(jiàn)なされ、和製漢語(yǔ)は近代文明を伴って中國(guó)に伝わってきました。
ーー和製漢語(yǔ)は中國(guó)と世界を繋いだ。獨(dú)立、平等、自由、民主、法制、主権、民族、國(guó)際、それまで分からなかった近代思想、近代語(yǔ)彙が中國(guó)に入りました。
ーー和製漢語(yǔ)は東洋と西洋を繋いだ。哲學(xué)者?西周が作った言葉ーー哲學(xué)、中江兆民が作った言葉ーー美學(xué)、東洋の立場(chǎng)から學(xué)問(wèn)の新天地を開(kāi)き、アジアの知恵を近代世界に注ぎ込みました。
ーー和製漢語(yǔ)は伝統(tǒng)と未來(lái)を繋いだ。近代化という未曾有の激変を前に、伝統(tǒng)そのものに自信を喪失し、漢字を廃止しようとの議論もあったあの時(shí)代の中國(guó)は、和製漢語(yǔ)から希望を汲み取りました。伝統(tǒng)は決して消えることはない。中日両國(guó)の共通財(cái)である漢字は、依然に力強(qiáng)く生きています。
和製漢語(yǔ)のブームは20年間も続きました。ある統(tǒng)計(jì)によると、現(xiàn)代中國(guó)語(yǔ)の中、社會(huì)科學(xué)関連語(yǔ)彙の六割は和製漢語(yǔ)であります。殘念ながら、その後中國(guó)侵略戦爭(zhēng)の勃発によって、和製漢語(yǔ)の交流はそれで終わりました。
和製漢語(yǔ)は、近代一時(shí)期の中國(guó)、日本、世界の三者関係を映しました。つまり、日本を経由し、中國(guó)は近代世界との接點(diǎn)を探り、アクセスを試みました。
今、時(shí)代が変わった。日本も中國(guó)も、専ら受け入れる立場(chǎng)の學(xué)生ではなくなります。日本文化は世界的に人気を集めています。ここ十年、和製漢語(yǔ)は再び中國(guó)に入り、人気、寫(xiě)真、料理、新人類などの言葉は流行します。中國(guó)も変わった。中國(guó)の文化、漢字の文明が世界に向けて積極的に発信し始めます。
過(guò)去の時(shí)代、世界から日本へ、日本から中國(guó)へ、この一方通行の文明交流は、進(jìn)歩をもたらした一方、ねじれと衝突をももたらしました。
21世紀(jì)は、平等に交流しあう、理解しあう、協(xié)力し合うウィンウィンの時(shí)代になってほしい。21世紀(jì)は、平和と友好を広げ、戦爭(zhēng)と対立を根絶する時(shí)代になってほしい。
皆さん、一緒に頑張ろうでありませんか。
駐日本中國(guó)大使館より 2010年9月30日