その後、仕事をやめて2001年に上海の大學(xué)で中國語を?qū)W習(xí)。次の年には地元の貿(mào)易會(huì)社で、「百円ショップ」にガラス製品を提供する山西省のある工場の業(yè)務(wù)を擔(dān)當(dāng)した。
品質(zhì)に関して非常に厳格で、不合格品に対して妥協(xié)しない彼女の態(tài)度は、中國のこの業(yè)界で知られるところになり、工場の作業(yè)員たちは互いに「長谷川さんには注意」と用心しあった。
それからしばらくたって長谷川さんの友人は彼女にこう言う。「本當(dāng)に勇気がある。中國のような競爭環(huán)境でやってみることもできるが、これからも一社員としてやっていくつもりなのか」
中國では日本と違い多くの女性が自分の會(huì)社を設(shè)立している。こうした環(huán)境に感化された長谷川さんは、中國で自分の能力を試してみることにした。今では日本と香港に支部を設(shè)け、未來は非常に明るい。今後は投資業(yè)界への進(jìn)出も考えている。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」2011年1月31日