日本は地震や火災が頻発する島國である。日本の歴史の発展と地震は密接な関係がある。1923年関東大震災が起きて、日本の統治者は國土が狹すぎる事、動き回るのに充分でない事を強烈に意識するに至り、後に日本が他を顧みることなく侵略拡張政策と軍國主義をエスカレートさせる直接的觸媒の役割を擔った。即ち、1943年9月から1945年1月の間、日本の軍國主義の拡張が大きな挫折をし戦爭が泥沼に陥っていた際に、日本では連続して三度の大地震が発生して日本人の厭戦気分を強いものにした。またのちに日本が「無條件降伏」を宣言をして平和主義路線に転向、力を余す事なく全力で経済的物質の繁栄を追及し遂に世界第二の経済大國になる事に軽視できない作用として働いた。1995年の阪神大地震は、破壊の規模は大きかったが、バブル経済破綻後の低迷の続く日本経済に新たな活力をもたらし、日本の都市構造、市町村の建設の合理化に新たな契機をもたらした。
これらから見て取れるように、地震は日本人の、変に処して驚かず兇事に逢って吉と変えるという能力を涵養した。それは『日本沈沒』の作者が書いているように『ある意味では、毎度の地震と戦爭の災難を経る度に日本の面目は一新され、ここから大きな歩みで前進するのだ』。
では今回はどうか。
私は預言者ではないし、日本問題の専門家でもない。しかし以下の事は確信する:日本の今回受けた損害は史上例のないものであり、その試練も前例のないものである。元気を回復するにはかなりの時間がかかるだろう、しかし一旦放射性物質漏れの危機がコントロールされるに至れば、日本社會は迅速に正常な姿に復帰し全ての事が新たに開始される、と。
日本が沈沒する事はあり得ない。(李兆忠)
「中國網日本語版(チャイナネット)」 2011年4月1日