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読者寄稿:北京今昔 1992年―2011年

読者寄稿:北京今昔 1992年―2011年。

タグ: 北京 日本 留學 

発信時間: 2011-05-12 16:30:37 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

 

寫真2:當時の切手。當時の通信手段は手紙が主流。電話はよく混線。留學生寮に1本しかない電話に國際電話がかかると放送で呼び出され、走って電話に出た。

今は攜帯電話、ブロードバンドで日本にいるのと遜色なくコミュニケーション可能。

 

當時、ロバが荷臺を引いていた西直門には奇抜な建物が屹立し、よく遊んでいた中関村は地上に出るのが難しいほど立體的に地下街が出來上がっている。IT企業が建ち並び、大きな電飾の看板と海外企業のショップ、吉野家、UNIQLO、カルフール。あの炭火焼の朝鮮焼肉屋は跡形もない???

同僚の獻身的な手助けで、順調に生活インフラが整っていった。部屋を借りるのも軒を連ねる不動産屋から私一人ならどこを信用していいかわからなかったし、賃貸のシステムもわからない。同僚は若いながらしっかりと主張しながら、契約を詰めてくれて、1日で満足の部屋を借りることが出來た。供電局の宿舎で古い市営アパートのような部屋だが、ブロードバンドとケーブルテレビが完備。入り口の守衛夫婦の部屋には警備カメラの四分割の映像が見れる。

初めての週末、以前の留學先、北京大學へ。新しい立派な門がいくつも出來ていて、地下鉄の駅やバスの停車場も複數できていた。産學協同が盛んな北京大學の構內にはいくつもの企業の名前を冠したビルが建っていた。

1990年の夏、北京外語での留學期間を7月に終え、9月から北京大學に行くことが決まっていたが、アルバイトをしていた私は日本に帰國できなかった。宿舎は追い出され、北京大學にはまだ入れない。困っていることを友人に話すと2ヶ月家に泊まらせてくれるという。この2ヶ月のホームステイが、どんな授業よりも私の中國語を上達させてくれた。

今回、住まいとした供電局の宿舎はあの中國の実家のような、楊さんの家を思い出させる。安心する。帰宅するといつも守衛のおじさん夫婦が聲を掛けてくれる。小さなことだけど、毎日心が溫かくなる。(高田英子)

 

「中國網日本語版(チャイナネット)」2011年5月12日

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