資料寫真:震災(zāi)後、中國(guó)初の日本観光ツアーが出発(5月29日)
先ず、中日両國(guó)の間では歴史認(rèn)識(shí)、臺(tái)灣、領(lǐng)土紛爭(zhēng)をめぐる問題などが重く絡(luò)み合っているため、中國(guó)人の日本観光は世界のどの國(guó)に行くより気持ちはずっと複雑である。例えば、日本のどの神社に足を踏み入れても、日本文化を體得し、または肌で味わうと同時(shí)に、神殿の背後にある「忠魂の碑」の類の魂を呼び戻す物を気にかけても、気にかけなくとも目にすることで、多くの中國(guó)の観光客の心は傷つき、日本に対して少なくとも不愉快な感じを抱くことになる。こうした死者の魂を呼び起こす物をいかに処置するかは、日本の観光機(jī)関が考えたことのない問題である。筆者は、これも遅かれ早かれ問題となる問題だと予測(cè)する。日本が政府から観光業(yè)界まで中國(guó)の観光客の金銭のみを気にかけ、その一方でこうした敏感な問題で慎重にならず、抑制せず、調(diào)整しなければ、中國(guó)の日本観光の低迷は再三再四繰り返されるだろう。
次に、日本はずっとその「安全性」で世に知られてきた。だが、3?11大地震の後、とくに福島第1原子力発電所事故が発生して以來、人びとは日本政府に事実隠蔽の姿勢(shì)があるだけでなく、安全指標(biāo)を隨意に改める行為があり、さらに「安全性」を聲高に叫びながら科學(xué)的根拠に基づいて発言しない姿勢(shì)のあることに気づいた。こうした背景の下、もともと福島と福井、福岡これら地域名稱の區(qū)別がはっきりしなくとも、中國(guó)の観光客の頭にある地理的概念は「日本」であり自然、彼らは恐れて足を止めた。このため日本は、「安全の神話」が崩れた後にいかに中國(guó)など外國(guó)の観光客を誘致するかという問題を考えなければならない。依然として得意げに過去の「安全の神話」というコンテクストの中に浸っていれば、目的は達(dá)成できない。
鈴を解くのはやはり鈴を掛けた人でなければならない。中國(guó)人の日本観光ブームを高める問題では、日本はその他の國(guó)の観光客に比べより考え、より真心示し、より努力を払う必要があり、でなければ、失望が希望の後方に連れ添うことになる。
?中國(guó)網(wǎng)日本語(yǔ)版(チャイナネット)? 2011年6月1日