8月15日は日本の敗戦66周年にあたる?!??11」東日本大震災後、歴史の分岐點に立つ日本はどのような道を選択するのか、これはアジアの未來にも関係してくる。
20世紀初め、日本では「大日本主義」と「小日本主義」の論爭があった。日本の思想家?評論家の石橋湛山氏は、大日本主義の要は「主権線」(日本本土を指す)の防衛だけでなく、「利益線」(日本の経済利益と関係する國やその海域)の保護という軍事拡張理論だと指摘、「大日本主義は軍事力と武力征服を第一義とする軍國主義、専制主義、國家主義で、その核心は“軍事立國論”だ」と非難した。一方、「小日本主義は內政改革を通じて個人の自由と活力を促進し、産業主義に立腳することで富國富民を実現する。その核心は“産業立國論”にある」と主張した。
戦前の軍國主義が荒れ狂う中、石橋氏が主張する「小日本主義」は「癡人のたわごと」だと思われ、日本の侵略戦爭の道を阻止することはできなかった。そして日本は第二次世界大戦で慘敗し、「大日本主義の幻想」は破滅するという石橋氏の予言がまさに的中した。敗戦直後、多くの日本人が國の前途を憂えていた頃、石橋氏は敗戦は「小日本主義を実現する絶好のチャンスだ」とみていた。これは戦後の日本人の思想解放の最も代表的な文言だ。
「大日本主義」思想の呪いから解き放たれた日本は戦後の技術革命と石油文明の勃興といったチャンスをつかみ、経済躍進を果たし、1978年には國民総生産(GNP)でソ連(當時)を抜いて世界2位となり、09年までの31年間その座を維持してきた。「企業本位」の社會體系の中、企業収入の格差は戦前の100倍から1980年には8倍に縮小、戦後の日本は相対的に平等な社會と國民の資質を高めることで世界の「ナンバー2」となった。
こうした成果はある意味、「小日本主義」の思想路線に従ったから実現できたといえる。だだ、高度経済成長にともない、日本では60年代末から「大日本主義」が復活した?!杠妵髁xの復活」ではないが、日本は戦後20年以上従ってきた「小日本主義」から徐々に逸脫していった。それは実際には発展の著眼點を“國民”から“國家”に移行し、日本が「西洋と肩を並べる世界の大國」になるというもので、外交方面では周辺諸國と度々摩擦を起こし、內政方面では経済情勢の変化に適応した真の改革を推進できず、発展戦略方面では誤った原子力発電政策を推進した。池田內閣が1960年に打ち出した「所得倍増計畫」は國民を豊かにするという「小日本主義」の発展観を體現したものだとすると、1979年のスリーマイル島原発事故と1986年のチェルノブイリ原発事故後も原子力発電躍進戦略を堅持したのは、「強國」を意識した「大日本主義」の発展観を體現したものといえるだろう。當時の日本政府は高度経済成長を延長しようと原子力発電の大躍進を進めていたが、核兵器は開発しないといいつつその技術と材料を求め、「非核三原則」に違反していないように見せて「実は隠している」という裏がなかったとはいえない。
何はともあれ、「大日本主義」の理念の下、日本の「國力を増強できれば、大過を顧みない」という誤った思想は、本質的には國家主義のために一個人を犠牲にする「大日本主義」の路線を再現している。歴史の分岐點に立つ今、日本はどのような日本になりたいのか、戦前のひどい教訓と戦後の豊かな実りを見ればすでにその答えは出ている。(作者 馮昭奎?中國社會科學院栄譽學部委員 )
「中國網日本語版(チャイナネット)」2011年8月15日