私は1958年に米國の大學の社會學博士號を取得した。「米國の家庭情況」というのが私の博士論文だ。
私がもうすぐ論文を書き終える時、ある教授が「米國社會を理解するためにも外國に行く必要がある。外國と比べないでは自分の國も書けない」と言った。その後、教授は私のために海外留學の奨學金を申請してくれ、「近代化はしているが、米國とは違う文化の國」を探すよう私に言った。
私は日本へ行き、そこで2年間過ごした。1年目は日本語を學び、2年目は日本の家庭を調査した。私はある小學校へ行き、學校に6つの家庭を紹介してもらった。私はその6つの家庭をそれぞれ訪ねた。彼らは私に非常によくしてくれた。ただ表面的にいいのではなく、心からのもてなしを受けた。私が彼らと知り合ったのは50年代末だが、今でも交友は続いている。彼らの子?孫と私の子?孫同士も友だちだ。
私が初めて日本を訪問した1958年、日本は非常に貧しかった。當時すでに一般の米國人家庭にはテレビや冷蔵庫があったが、日本人の家庭にはなかった。日本人は、彼らが貧しいのは戦爭が間違っていたからだと言った。當時、中國人の多くが軍國主義が日本で再び臺頭するとみていたが、戦後の日本人はもう戦爭などしたくはなく、軍の指導者が彼らを欺き、本當の事を言わなかったと思っていた。
この経験は大きな反響を呼んだ、「ジャパン?アズ?ナンバーワン」という本を完成させるのに役立った。私はこれまで何度もどうしてこの本を書いたのか聞かれた。私は日本社會の様々な功績に感嘆している。例えば教育の普及に成功、社會の治安は非常によく、犯罪率は比較的低い。貧富の差は少なく、能力の高い官僚を輩出し、官僚の腐敗もそれほどない。會社內では非常によく協力し、団結力がある。製品の品質向上も速い。私が「ジャパン?アズ?ナンバーワン」と言うのは、日本経済が世界最大かつ最強というのではなく、米國人に日本がいかに成長したかを伝えたいためだ。