セーラー服はいわゆる水兵の制服で、四角形の大きな襟は髪の清潔さを保つためだ。また、海戦のとき、水兵は甲板の上で聞き取りやすくする役目もある。爆弾など射撃時(shí)の大きな騒音を避ける作用もある。1859年に、イギリス海軍に正式に水兵の軍服として制定された。
イギリスのビクトリア女王は1864年、このデザインを若い王子とお姫様の服にして、當(dāng)時(shí)の人々に「すごくかわいい」と稱賛され、ブームとなった。そしてフランス、ヨーロッパの各國まで流行が蔓延したが、4歳~5歳までの子供の服だけで女子と男子のデザインに大きな區(qū)別はなかった。セーラー服は當(dāng)時(shí)の児童の代表的な服になって、その後、貴族の小學(xué)校の制服になり、正式な服になった。
當(dāng)時(shí)のイギリス海軍は世界で最も進(jìn)んだ海軍だったため、このファッションは各地に普及した。東アジアに位置する日本がこの影響を受けた原因は、日英同盟と関連している。
明治維新時(shí)の日本は富國強(qiáng)兵という思想に耽溺し、この軍事的意味のある服裝が日本人の思想にぴったり合った。かつて日本の學(xué)生の制服といえば、伝統(tǒng)的な和服だった。いわゆる袴だったで男女の區(qū)別なくこれを著ていた。今は大學(xué)の卒業(yè)式にしかその裝いは見られない。
明治維新末期から大正時(shí)代初期、洋裝化運(yùn)動後、日本の學(xué)校は伝統(tǒng)的な服を捨て、今のよく見られる黒いスタンドカラーの制服を採用していった。これは軍服を改良したもので、もとは海軍の將校?士官の初期の軍服で1879年に始めて日本の貴族學(xué)校だった學(xué)習(xí)院で正式に採用された。
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」 2011年9月29日