勤務(wù)中の日本警視庁警察官
路線バスでも日本では乗客は整然と乗り降りしている。2006年に南京市で起きた彭宇事件(転んだ老人を助け起こし病院に送り屆けた彭宇さんだが、その老人は彭宇さんが突き飛ばしたために転んだ、と賠償を求めて告訴した事件)のことを日本人に紹介した際にも、「どうしてそういうことになるのか分からない」と不思議がり、裁判所が賠償命令の判決をいともたやすく下したことについては、想像を絶するものであるようだ。
日本では法律上、「間違いがないこと」が特に重視されている。判決を下す場合にも、物証、論理性、法的根拠、國民に與える影響などの方面から何度も検討を重ね、軽率な判斷をしないようになっている。日本の裁判では、善意ある國民を無関心の塊にさせることがない判決が求められる。民事訴訟において、判斷の難しいケースに対し、日本の裁判所では判定までに相當(dāng)慎重な手続きを踏む。費やす時間がどれほど長くなろうと、出來るだけ両者にとって納得のいく結(jié)果を下そうとする。判決に不服がある當(dāng)事者は、控訴することも可能である。
島國である日本は、國全體が一つの集落のようなものである。誰もがこの島から離れることができないため、長く共存していくための思想が根付いている。また、貧富の差が小さく、國民の誰もが保険に加入しているという安定性に加え、法的にも國民の倫理性?道徳性を重視しているため、日本社會に大事件が発生することはまれである。
そのため、日本には「雷鋒」のような國民の鏡とすべき善人は存在せず、交通事故の負(fù)傷者を放置するなどといった奇妙な現(xiàn)象もありえないのである。
?中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)? 2011年11月3日