1973年、第四次中東戦爭の勃発によりオイルショックが世界を襲った際、日本政府はそれまで米國や親イスラエル國追隨であった中東政策の軸足をイスラエルから中東諸國に移し始めた。
事態悪化を食い止めるため、続々と政府要人をアラブ諸國に派遣していった。その際、その手土産としてODAを約束することを忘れなかった。中東地域向けに支出したODA額を見ると、1971の908億円から1975年には6,209億円と高い伸びを示している。こうした政府の対応が実を結び、中東諸國からの石油の安定供給が確保され、日本経済の生命線は無事防衛できたのである。
日本は対外援助を通じて、貿易立國として輸出主導経済を支えてきた。
戦後、日本政府は、これまで経済関係の深かった東南アジア諸國を対外援助の対象國の第一選択肢として見據えている。東南アジア諸國のインフラ整備に巨額を支出し、その投資環境を改善してきた。それに日本企業の進出が加わり、東南アジアは日本の重要な投資対象國として、また輸出相手國として急速に成長していった。