日本の受験生たち
日本の受験生たち
日本文部科學(xué)省が2月10日に発表した「子どもの學(xué)習(xí)費(fèi)調(diào)査」の結(jié)果によると、2010年度、公立中高生一人當(dāng)たりにつき保護(hù)者が支払う學(xué)習(xí)塾代あるいは家庭教師代は年間22萬9千円におよぶことが分かった。所得が低めの家庭でも、その支出は20萬円近くになっている。『日本新華僑報』が伝えた。
「教育の機(jī)會均等」を重視する日本で、なぜこれほど高負(fù)擔(dān)の校外學(xué)習(xí)への支出が行なわれているのだろう?いくつかの観點(diǎn)から考察してみよう。
まず、日本は學(xué)歴社會の國であることが挙げられる。「知識は人生を変える」とよく言われるが、日本では「學(xué)歴で人生が決まる」ことが往々にして起こる。一般的に、高校卒業(yè)後、一流大學(xué)に入りさえすれば、大學(xué)卒業(yè)後の就職や入社後の昇進(jìn)も順風(fēng)満帆に進(jìn)むとされている。
東大卒の故?宮澤喜一元首相は、あからさまに學(xué)歴差別意識を持っていたといわれる。事あるごとに相手の學(xué)歴を聞き、それが有名私立大學(xué)の早稲田大學(xué)であったとしても「國立大と私立大は比べようもない」と一笑に付したという。こうした學(xué)歴社會の中では、どの家庭でも子どもに高い教育費(fèi)をかけざるを得なくなっているのである。
次に、日本の教育は「受験のための教育」になってしまっているということである。日本では中學(xué)および高校はいずれも公立と私立に分かれており、公立の學(xué)校は學(xué)習(xí)指導(dǎo)要領(lǐng)の內(nèi)容通りに教育を行なっているに過ぎず、私立の學(xué)校ほど進(jìn)學(xué)率の向上を図ろうとはしていない。だが、學(xué)歴社會の弊害は、私立の學(xué)校における「受験のための教育」を行なわせてしまっていることにある。私立の學(xué)校に入ることが葉わない子どもは、學(xué)習(xí)塾に通い、家庭教師を雇うほかないのである。このため日本が重視する「教育の機(jī)會均等」は決して実現(xiàn)されていないことを表している。