日本の中學(xué)生たち
次に、親の「スタート地點(diǎn)で遅れないようにしてやるのは親の責(zé)務(wù)だ」というプレッシャーである。中國と同じく、日本の親も自分の子どもに高すぎる理想を抱く癖がある。自分の子どもが私立の學(xué)校に落ちてしまった場合、親は「出遅れた」と焦り、學(xué)習(xí)塾に通わせ、家庭教師を雇い、私立の學(xué)校に入れた子たちと同じレベルを保持させようとする訳である。借金をしてでも學(xué)習(xí)塾に入れたいとする親も少なくない。まさに底なし沼的な親の愛と言えよう。
四番目に、日本では子どもへの教育が重視されており、教育投資を増やそうとしていることがデータ的に分かることである。「他のことなら何でも我慢できるが、子どもの教育費(fèi)はどんなことがあっても捻出しなければ」という理念を掲げる親は多い。これこそが高い校外學(xué)習(xí)費(fèi)を出させる原動力になるのである。これは決して間違えた考えではないと言えよう。
次の問題として、公立の學(xué)校に進(jìn)學(xué)した子どもに対し親がどれほどの犠牲を払ったとしても、子どもは大學(xué)進(jìn)學(xué)後、まったく勉強(qiáng)しないようになるケースがほとんどのようである。大學(xué)の4年間を「生涯で一番楽しい4年間」と見なすようになり、日本の大學(xué)生の「學(xué)ぶ力」が衰えていっている。親が投資した教育費(fèi)のリターンはまず期待できないのだ。そうした問題の解決のため、日本の社會はどのように対策を採っていくのか?今のところ有効手段はあみ出されていないようである。(張桐記者)
「中國網(wǎng)日本語版(チャイナネット)」 2012年2月16日